HOME  >   LMC認定講師一覧  >   藤本 さとみ

私は、小さなころから、表情が乏しい子供でした。
そして、無感情・無感動な人間だと思うことがよくあります。

 

私は人を愛するという気持ちがわかりません。
家族を愛するという気持ちもわかりません。
男性を心から愛したこともありません。
恋愛感情がわからないのです。

 

私の心はなにかが欠落しているのだと思っていました。

 

なぜ私は無感動・無感情なのか、なぜ私は恋愛感情をもてないのか、ここ最近ずっと考えていました。

 

 

私の両親は私が小学校に上がった頃にはすでに不仲でした。
不仲の原因は父が外に愛人をつくっていたことにありました。

 

私が小学校3年の春、母が自宅をでて実家に帰る、という事件がありました。
幼心にとても衝撃でした。
学校から帰ると母がいなかったのです。
私は母に捨てられたのだと考えました。
私がもっと母をサポートしていたら、私は母に置いて行かれなかったのかもしれない、と考えました。

 

母がいないと、それまで当たり前に享受できていたことがなくなり、大きな喪失感がありました。
朝起こしてくれる人がいない、髪を結ってくれる人がいない、ご飯をつくってくれる人がいない、学校の行事に対応してくれる人がいない・・・当たり前だったものがなくなってしまったのです。

 

母のいない中、学校で家庭訪問のお知らせがありました。
父は私に自分と弟の担任に断りを入れるようにと言いました。
私は理由をなんと説明したらいいのか全く分からず、それを告げるのが恥ずかしいことのように思え、先生に話しかけるのにかなりの勇気がいったのを覚えています。
父が学校に連絡をいれてくれれば済むことなのですが、父はその頃から家庭や子供に興味がなく、学校のことは母に丸投げ、母がいないと子供に丸投げしました。
家にお金を入れない人で、学費だけは母が再々お願いして渋々だす、そしてなにかあると「だれのおかげで飯が食えてると思ってんねや」という発言をする人でした。

 

その後、夏休みに私たち姉弟が母の実家に行き、その間に話し合いがなされ、夏休み明けには母と一緒に自宅にもどることになりました。
しかし、両親の不仲は解消されず、その後も夜中に両親が喧嘩をしている声や母の泣き声で目が覚めるということが何度もありました。
私は子供心に、母を支えなければ、という想いと、両親に対する不信や許せない想いをずっと持ち続けていたのだと思います。

 

そのころから、私は母から、父に対するネガティブな愚痴を聞かされることが多かったように思います。
私は母のネガティブな愚痴を聞くことがとてもしんどかったのだと思います。
そのため無意識に私は人の話を聞くとき(特にネガティブな話)は、そこに自分の感情を挟まずに聞くようになりました。

 

小さなころから無表情な子供でしたが、その頃から、感情をあまり出さず、何事にも心を動かされることが少なくなりました。
そんな私を周囲は落ち着いている、しっかりしている、と評価しました。
私自身もそう振る舞ってきました。

 

母の件をきっかけに、私は自分のことは自分でやる、という習慣が身に付きました。
一人では難しいことはできるだけ避け、人に頼らなくてもよい環境を無意識につくるようになりました。

 

理恵さんに「ネガティブ耐久率が高い」と言っていただいたことがあります。
それは職業柄そうなったと考えていましたが、母からのネガティブな愚痴を聞いていた幼いころから培ってきたのだと思います。
私はネガティブな話を聞くのが苦になりません。
ネガティブな話を聞くとき、私は自分の感情を殆ど挟まないので、ネガティブに過剰に引きずられることがなく、何時間でもネガティブな話を聞いていられます。

 

結婚したい、子供が欲しい思ったことがないと常々発言している私ですが、「思ったことがない」のではなく、「思わないようにしていた」ということに気づきました。
私は私の好きな人や信じている人が目の前からいなくなることが怖いのです。

 

父の言動や母の行動で私は男性に頼って生きるのは得策ではない、頼れるのは自分だけ、と思い成長しました。
そして、経済的に自立するため、手に職をつけ自分でお金を稼いで生きていこうと今の仕事を選択しました。
おかげで女性としてはまずまずの年収をいただくことができるようになりました。

 

私が25歳の時、自宅が貸主の都合で立ち退きとなり、家を購入することになりました。
そして、なぜか父と私が住宅ローンの連帯支払人となったのです。
当時、姉弟間で私だけ定職につき、経済的に安定していたというのが理由ですが、その時は「資産にもなるしいいか」と考え同意しました。
父はその時にはほぼ自宅に帰らず、別居状態でした。もちろん家にお金をいれることはありません。必然的に住宅ローンの支払いは私の肩にかかりました。
この時、一人暮らしをして自立するという選択もあった、と今となっては思うのですが、当時は母と同居してあげなければ、母を支えなければという思いがありました。

 

この選択は私の恋愛や結婚へのブロックを強化しました。
「住宅ローンがある」というのは愛がわからない、愛に恐れをもつ私のよい隠れ蓑になりました。
私はますます愛と向き合うことから遠のいていきました。

 

今年3月にLMC強みカード1day講座で、私はみなさんからいただいた強みカードが一枚もうけとれませんでした。
その時の精神状況や私の自己肯定感の低さもあったのですが、安心・安全・ポジティブな場で、愛にあふれる皆さんの「愛」を受け取るのが怖かったのだ、と気づきました。
私は人からの愛を受け取れず、人に愛を与えることもできない人間だったのです。

 

 

その後、トゥインクルスター養成講座を受講し、ライフミッションストーリーを作成しました。
外見に強いコンプレックスをもつ私はそのことについて書きましたが、違和感がありました。

 

5回目の講座で美穂さんの退会や理恵さんの離婚・再婚の話を聞き、私の心はざわざわしました。
そして、いつもは普通に聞けるLMCのミッション「生まれ育った環境や性別・地理的な理由、金銭的理由などで、幸せに生きることを諦めない人を増やすこと」で更に私の心はざわつきました。

 

自分の無感動・無感情な部分を掘り下げる必要を感じましたが、そこに向き合うのはとても怖いものでした。
理恵さんに助言をいただきヒーリングコードを行い、私は蓋をしていた母の家出からの流れを思い出しました。

 

ここをクリアにしないと私は自分に幸せになることを許可できないまま一生を終えるような気がしました。
愛がわからない、恋愛感情をもったことがないなんて、みんなが当たり前にできることができない自分は普通ではないし、恥ずかしいと思いましたが、向き合う決意をしたのです。

 

 

なぜLMCのミッションで心がざわついたのかにも気づきました。
私は愛することや愛されることを諦めていました。
諦めるのが一番傷つかず楽だからです。

 

仕事で一人なら十分に生きていける経済力を得、母を十分に支えられるようになりましたが、私の心は満たされていません。
私は誰かを愛し、愛されてみたい、と心の奥深くでずっと思い続けていたことに気づきました。

 

私のミッションは
『なにかを諦めて生きようとしている人が諦めない心を取り戻し、
「この人生でよかった」といえる人生を送れる社会をつくる』ことです。

 

愛を諦めないことで、今まで何を得ても満たされることのなかった私の幸せのコップが満たされるのではないかと思います。
「愛」を理解できない私が「愛」を理解するとどうなるのか、全く予想がつきません。
私は私の幸せのコップを満たし、幸せになりたい。
私と同じように何かを諦めて生きている人がいるのであれば、私の経験を語り、伝えたい、と思います。

 

私が諦めない姿勢を貫き、成長し、その姿を提示しつづけることがLMCのミッション・フィロソフィー、ビジョンの実現とともに、私自身のミッションの実現につながると思います。

 

私をおすすめする3つの理由

このようなお悩みはありませんか?

1Day講座を受けるとこうなります

この講師の講座を受講した方の声

講座開催情報

開催日時 開催地 講座名 講師 状況
2017年12月18日(月)
17:30〜21:30(4時間)
大阪府
受付中
2017年12月19日(火)
18時〜、19時〜、20時〜
大阪府
内面ホリホリ体験@茨木
受付中
2017年12月20日(水)
18時〜、19時〜、20時〜
大阪府
内面ホリホリ体験@茨木
受付中
2017年12月21日(木)
18時〜、19時〜、20時〜
大阪府
内面ホリホリ体験@茨木
受付中