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「溢れる想いを素直に体現し、
 自分の経験の全てを生かして、
 心と心がふれあう中で、誰もが使命を生きる世界にする」

心を動かせば、本来の自分で、
たくさんの可能性を生み出せる。そう感じています。

心の中にある「本来の自分のパワー」は、
自分でも気がつかないほど大きく、
それを解放させないまま、
生きている人のなんと多いことか。
それは、もったいない。
「心」のパワーを引き出すことがわたしの望む生き方で、使命だと思い至りました。

そして、わたし自身も、
全く気がつかないまま、
「自分の人生が、いつまでたっても始まらない」ような、そんな、心を置き去りにした毎日を過ごしてきました。

わたしは、ずっと
自分の「気持ち」「心」がわからず、
低空飛行の人生を過ごしてきました。
人生が自分の手で作れるなんて、
考える余裕もないくらい、必死に「いいもの」になるために努力する毎日。
小さい頃から、「感じやすい」「繊細」な感性を持っていて、
人の心の動揺や不安、喜びも、瞬時で察して、
その感覚を共有してしまうような女の子でした。

コミュニケーション下手な家庭で育ち、
いつも両親の顔色や態度を伺いながら、
自分の思いを言えずに、
親の表情を気にして、張り詰めて生きてきていく中で、
感じやすい性格を、自分でも「厄介だ」「弱い自分」
「人と違っておかしいところだ」と思うようになったのです。

親の期待や、
親がそのまた親からうまく愛されずに育った行き場のない気持ちを感じ取り、
「わたしが、パパやママの分まで、しっかり頑張らなくちゃ」
「ずっとそばにいて、喜ばせなくちゃ」
と、無意識に思い、
褒めてくれない親に認めて欲しくて、
本当はうまくできない自分でいたいけど、
そんな自分を見せてがっかりさせたくないという罪悪感を感じたくなくて、
勉強も、本当は苦手だったスポーツも、
何もかも、「一番」にできる、優等生を必死で演じていました。

でも、元来なににも縛られるのが嫌で、人と同じことが嫌、
ファンタジーな世界にも、女の子らしくすることにも興味津々、
スローペースで、突拍子もないのが本当の自分なのに、
「優等生」でいるために、そんな自分を出さずに、
しっかり者でいようと無理していると、どこかで気づいていたように思います。
何をやっても、最後に一番にはなれなかったり、
無理やりやっているから行動が続かなかったり、
友人付き合いがうまくいかなくなったり、
両親の不和を自分が止めに入ることになって誰にも相談できず心のバランスを崩したり、
大学受験で頑張り切れず、挫折を味わうなど、
最後の最後にいつも「うまくいかない」
そんな経験をいつも繰り返していました。

なんか違う。

そんな違和感に、本当は気づいていたと思います。
こういう自分は自分ではない。
でも、それは「外から見たわたしらしくない」から、
わたしは頑張らないといけない。
ちゃんとできるわたしじゃなくなったら、
「イタい」し、「父親に何を言われるかわからない」。
そんな、できなかった時に親をがっかりさせる「罪悪感」を、
感じるなんて考えられなかった。

でも、心の中は、
誰かに「頑張らなくていいよ」「大丈夫だよ」
と、歩みを止めてもいいと認めて欲しい、そんな気持ちでいっぱいでした。

心を置き去りにして、ちぐはぐだったのですね。
ぷくーっと膨らませてしまった風船が、
パンパンに張り詰めているような時間を、
32歳まで、気づかないまま、過ごしてきてしまいました。

『~が欲しい』ということさえ口に出せなかったわたしでしたが、
本当は弱い自分を必死に押しとどめながら、
社会人になっても、
海外赴任・同期の中で誰より早い出世・新しいプロジェクトへの抜擢など、
さらに、目の前のことにただ必死で突き進み、
ちゃんとできる「管理職」でなくてはいけない、
気がつけば疲弊することを繰り返す毎日。
早朝から深夜まで働き、
本当は自分らしくないなあと思いながら、
そういう「弱い」自分が出てこないように必死でした。
目の前のものに必死で取り組めば、何かが変わる、
自分のことを認めてあげられると思って走り続けているけど、
心の中がちぐはぐだからいつも気持ちが不安定になり、
職場でも「頑張るが、扱いづらい人」と言われる始末で、
心の奥底では、「なんだか自分は何もかもうまくいかない」という、
自分の手ではもうどうにもできないという、
お手上げな気持ちを抱えていました。

*****

「人生お手上げ」
長い時間を挫折と鬱々とした気持ちで過ごしてきた先に、
「心」の大切さに気がつく。
心が飛び上がりそうなほどの喜びと、生きやすい毎日を手に入れる。

大切にされない、うまくいかない恋愛での苦しさをきっかけに、
「本当に自分を変えたい!」と思い、
でもどうしたらその糸口がつかめるかわからず。
何か打ち込めるものを見つければ、
人生が変わるはずだと思い、
数々の習い事や、
人生を変えるというテーマの講座、
全く関係ないパン教室やグラフィックスクールへの通学、
電話占いやカウンセリング・ヒーリングまで、
投資という名のさまよいをした金額は、実に850万円を超えていました。
そんなことに必死で使って、貯金ができない自分にも自己嫌悪する、
そんなループでした。

それでも、「何かが違う」。

毎回、そんな失望を抱えながら、
漠然と、「人生輝きたい」、
でも、正体すらわからなかった時、
心理学・コーチングを本格的に学ぶことになりました。

心と脳の仕組みを学んでいくうちに、
「本来の自分を取り戻せばうまくいくんだ、
これまでの自分は自分じゃないものになっていたから
うまくいかなかっただけなんだ」と、
理論を学んだことで腑に落とすことができました。

その過程で、
自分の思い・過去への気持ちに徹底的に向き合い、
自分の言葉で表に出してあげ、
思い込みや、心のブレーキになっているものに気づきながら、
過去の記憶を書き換えて、
「心」と「感覚」を取り戻す作業を行う中で、

自然と、
やりたいこと、
「心を大切に生きていきたい」ということを
心に抱くことができました。
フワーッと浮かんでくる感覚です。

いつも、初詣でお祈りするときに、
「やりたいことをわかるようにしてください」
とお願いしていたわたしでしたが、
自分のしたいこと、人生のテーマが、
明確になった気持ちでした。

「心が楽になると、自然と自分の想いや力が出てくるんだ」。
「わたしにも “ある” んだ!」

飛び上がりそうなほど、嬉しかったのを覚えています。

心理学・脳科学のアプローチを使ったカウンセリングセッションも、
コーチングの技法も、
やればやるほど面白く、のめり込んで行き、
自分自身も心と思考がますます解放され、
セッションをさせていただくほど喜んでいただける。
自分に自然にできることは、
こんなにスムーズにいくのだと実感。
日常生活では親・パートナー・人間関係全般がスムーズになり、
会社員としても、ダメな自分をさらけ出して行けばいくほど、
昇進したり、抜擢したりしながら、
「あなたが必要だ」と言われる日々に変わり、
とても生きやすくなったのです。

両親に持っていたわだかまり、
満たされない、昇華できなかった思いも、
自分の思いを表に出し、癒され、自分の感覚に書き換えていくうちに、
自然とその気持ちが消えていくような感覚でした。

心を取り戻して、
自分の感覚を優先していけるようになると、
意識しなくても自然と行動力が上がり、
これまで悩んでいた、「自分は何をしても続かない・動けない」
という悩みも、無くなって行きました。

このことから、
わたしと同じように、
本来の自分を抑えながら、過去にとらわれて
本来の力が発揮できていない人に、
「そのままの自分に戻ればうまくいくよ」
「心を動かせばうまくいく」
ということを伝えたいと思い、
その行動を加速させたくて、
ある起業塾に通うことにしました。

見つけた夢の実現のため、
ワクワクしながら、かなりの高額を投資しました。
ですが、自分なりに一生懸命やっていたものの、
ここでもまた、行動が止まってしまったのです。
夢も見つけた、必死に頑張りたいと思った。やる気も十分。

でも、挫折した。
なぜ!?

やっぱりわたしは、
またダメな自分に戻ってしまうのかな?
何かを実現するということは無理なのかな?
と、いう気持ちがやってきて、また自分を嫌いになりかけました。

そこからさらに自分に向き合い、
自分の人生のテーマ・ミッションを
言葉にする作業を重ねながら、コーチングの仕事を始めていきました。

クライアント様とセッションをしたり、
自分のビジネスだけでなく、
「心を動かせば、その気持ちが響き合ってうまくいく」ということを、
会社員の仕事の中でも、伝えていける人事や事業開発の仕事をしていけることは、
楽しい、やりがいがある。
毎日も、それなり。

でも・・・
まだまだ不完全燃焼感があるというか、
もっともっと、加速させていきたいのにできていない、
何か、本当の自分を見ていないような
心の奥底にあるものを、抑えて、出していないように感じていたのです。

 

「混乱は変容進化の前触れ」、
そこから得たものと使命。幸せを感じて、作り出す力。

常に聞いていたこの言葉を、
自分が思いがけないタイミングで、
経験することになりました。

会社員の仕事は常に繁忙状態で、
自分がどんどん進めたいコーチの仕事もある、
パートナーとはそれなりにうまくいっているはずなのに
なんだか大事なことを感じ切れていない気がする、
でもなぜか頑張りきれない、
異常なしんどさを感じるようになりました。

自分の心の声を聞くようになったものの、
感じたことがないしんどさが大きくなり、
また、「頑張り切れない弱いわたし」だと思い込んでいました。
毎日毎日、忙しくすることが癖になっていたのですね。
自分が弱いから、そうなんだとしか思わなかったのです。

でも、しんどさはあまりにも長くひどく続く。
おかしいなと思っていた体調の大きな変化の原因が、
まさか、
妊娠が原因とは思っても見ませんでした。

それなのに・・・
その事実に気がついてすぐに、
お腹にやってきてくれたばかりの赤ちゃんは、
空に帰ることとなってしまいました。

あまりに突然の悲しさに、
現実を捉え切れない自分、
パニックになって呼吸ができなくなるくらい、
悲しいとかそういう気持ちもわからず、
ただ、絶望したような思いでした。

なぜこんな現実が目の前にやってきたんだろう?
日に日に、やってきたはずの命なのに、
それを育てることができないという事実がわかってくると、
感じたことがないくらい、気が狂いそうな思いでした。

こんな苦しい気持ちは、何が原因なんだろう?
これまでもたくさん苦しかった現実に向き合ってきて、
またわたしはこうやって、
うまくいかない、
迷宮の中にいるような感覚を、
感じ続けるのかな・・・
絶望という気持ちしか、感じられなかったです。

目の前の出来事の意味を知りたくて仕方がなかった時、
「赤ちゃんは空の上から、ママを選んでやってくる。
そして生まれてこない命も、赤ちゃんがそれを選んでいる」という本を読みました。
もし、わたしを選んできてくれているなら、
何を伝えにきてくれたんだろう?
心の中で、赤ちゃんに必死に話しかけました。

すると、わたしに赤ちゃんは、
ただただ「大丈夫だよ!」というのです。
2歳くらいの女の子が、「大丈夫大丈夫!わたしに任せて!」と。
涙が溢れて、止まらなくなりました。

わたしはただ、
やりたいことをカタチにしたい、だけではなく、
女性として、
そしていつかママとして、
心から溢れてくるような思いや愛情、幸せを感じて、
それを素直に、伝えていきたいんだ、
感じあっていきたいんだ、
溢れそうな気持ちを、止めることなく、それを循環させていきたいんだ、
という、

心のどこかで、わかってはいたけど、
出し切れていなかった自分の気持ちに、
思い至ることができたのです。

なんで、出し切れていなかったのか?
思っていたつもりでも、
まだまだ「そういうことは自分のキャラクターじゃないから」
「わたしには似合わないと言われそうだから」
「結局最後はうまくいかなかったり、がっかりしたりする」
などという思い、
自分が30年以上も必死に繕ってきたキャラクターが
まだまだ剥がれ落ち切れていなかったのだと思います。

そして、
このことをきっかけに、
パートナーと本当の本音で話し合った時に言われた、
「本当に好きでいてくれているのか、不安だった」という言葉に呆然、
それまで話していたつもりで見ていなかったことに
たくさん向き合わざる得ないことになりました。

「自分の気持ちを表に出す、伝える」ということは、
嫌というくらい、心がけてするようにしていたものの、
心ではこんなに大切だと思っているのに、
「溢れる思いを、そのまま素直に、表現する」ということが、
できていなかったのだということに気がつくのです。

それまでのわたしは、
傷つくことが怖くて、
自分の気持ちを出し惜しんでいたこと、
まずは自分から愛情を与えるということを避けていた、
ということに気がつき、
一つの命を失った悲しさとその事実を知ったショックの中で、
「この現実が伝えているものはなんなのだろう?」
と自分の中にある根元の思いを探りました。

「起きていることは全て自分の心を映し出している」

心理学を学ぶ中で持ち得たアプローチです。

だとしたら、何を映しているのだろう?
本当は見たくないけれど、
認めたら苦しすぎるけれど、
どんな思いがわたしの中にはまだ眠っているのだろう?
どれだけ自分の気持ちに向き合ったら、わたしは赦されるんだろう。
もう苦しすぎておかしくなりそうで、
自分のために、ちゃんと知りたい!という気持ちでした。

すると、
わたしは「うまくいく保証」がないと、
自分の愛情や、力を出すことが怖かった、
ということに気がついたのです。

相手が大切にしてくれる、
何かがうまくいく、
その保証がないと、
うまくいかなかった時に悲しい気持ちになることが、
ものすごく怖かったのだと。

罪悪感、相手の悲しさ、
そういうものを感じるのが極度に怖かった。
感じやすいからこそ、
そんな自分を、出しているつもりで、
大事なこと、大事な人に対しては、
最初から力も気持ちも、
自分から発することを出し惜しんで、
ボタンを最初から掛け違っていたことに、
命を失うというあまりにも大きなことを通して、
気がつかされました。

そしてこれは、
両親との関わりの中で、
自分の行動、表情、気持ち次第で両親がどう思うかをいつも気にしながら、
がっかりさせたり、切ない気持ちにさせないよう、
先回りして、行動していた、
親と心が癒着している自分が、まだまだいることに気づきます。
昇華したと思っていた自分の「罪悪感」として、
まだまだ深いところに残っていた感覚だとわかり、
「わたしはもうこの気持ちは不要だ」と、
しっかり向き合って、
手放そうと覚悟できたのです。

心の中に罪悪感やわだかまりを感じていた両親に
心から感謝しながら、
自分の人生を生きると境界線を明確に引き、
わたしはわたしが幸せになるために、目一杯、人生を楽しむ。
パートナーとはお互いを本当に大切にしあえる関係に
変わっていくことができました。

散々泣いて、
この現実は何を表しているのか?
認めたくない、見たくないことの理由を、
じっと、逃げずに向き合って探して行くと、

「自分が生きたい生き方」

に、本当に出会うことができた思いがしました。

ここにもまた、
これまで学んできた心理学のアプローチが本当に役に立つことになりました。
心理学・カウンセリング・コーチングというものは、
ただの学問ではなく、その本質は、
「本当の自分に還るためのお手伝い・心の扱い方」なのだと改めて腑に落ちました。
どんどん、自分の心がさらに、
むき出しの、ありのままの姿に戻っていくのです。

わたしは、
傷つくかもとか、うまく行くかとか、
そういうことを考えて出し惜しむ前に、

本当は溢れてきている、
「愛しい」とか、「大切にしたい」とか、
「もっと誰かと共有し合いたい」という感じる気持ちを、
そのまま素直に伝える、表現する、
心と心が本当に触れ合うような、そんな自分で居たい。
そして、その表現をし切れていない、
出してしまうと自分が今のままの自分ではなくなってしまいそうで怖いから、
出し惜しんだり、止めてしまっている自分にも気づきました。

恥ずかしかったり、
傷つく怖さとか、
わたしばっかりがとか、
そういう思いで、出し惜しんで、
明確に示さなかった等身大の素直な思い・感性を、
常に全部、出して行きたい。

そして、
一つの命が、わたしの中から引き出してくれた、
素直な思いのままに、愛情を与え合うことの喜びや、
女性であること、
その自分の魅力を自分で認めて、
素直に体現してあげること。

自分のこの部分が嫌だから隠すとか、
自分はダメだからとか、
こういう自分を出したら、
これまでの自分と違うから恥ずかしいからということ、
こびりついていた、
女性としての自分を「隠す」ということをせず、

可愛らしく振舞うこと、女性を楽しむこと、
そしてセクシャリティのことまで、
自分の心の中にあらゆるタブーを作らず、
恥ずかしさや出し惜しんで閉じ込めず、
ただただ、「自分サイズ」で、
本能のまま、謳歌する喜び。

その思いに明確に、思い至ってから、

「愛情溢れる想いそのままで生きる
自分をフルに生かして、心から行きたい世界を生きる」

という、自分を起点に、
感性を世界に広げていく、
心と心でつながりながら生き、
そこから価値が生み出される世界を
もっと見てみたい、と感じています。
文字にすると何か、ファンタジーみたいですが、
そんな世界を現実にしたい。

わたしが見つけた「わたしの生き方」であり、
使命です。

*****

使命に至るまでの全ての「経験」に意味があり、
その経験があるから、
本当の自分と自分の生き方に気がつく。

自分がしてきた経験は、
自分を表現・発信する糧であり、
その経験が、また、誰かの勇気になり、
自分が提供していける「価値」になります。

混乱や悩みの最中には、
どうしても、そんな風には気がつくことができません。

でもだからこそ、
全ての人が、
本当に本来の自分に戻り、
自分の経験を生かし使命を生きる、
そのお手伝いをしなくてはならない。

それが、
わたしがしたいことであり、
できることだと思っています。

そして、
心理学という心を扱うものも、コーチングも、
自分に還るための手段であると確信しています。

無意識に、
毎日ただただ一生懸命頑張る中で、
自分の感性・本質は否定され、押し込められ、
出てくることができずにいます。

わたしだけでなく、
たくさんの人が、そのことに、
気づくことがないまま、過ごしている。

そして、自分の心を見ることは弱い自分とされたり、
「自分は~~だから」と、
生きる中で作られた思い込み・レッテルで、
どれだけ本当の自分が感じられずに閉じ込められているか。
こんなこと、人に言えないから、
自分の中にある本当の自分の姿を否定して、表に出せずにいる。

本当に、本当に、
もったいないことだと思います。

「あの人みたいに輝きたい」
「わたしも、やりたいことを見つけて打ち込みたい」

そんな風に、何かと比べなくても、
フルに自分を活かせば、
それを必要としてくれる人と繋がれる世界がある。

溢れる想いを解放していい、
優等生の自分、わきまえた自分、頑張り屋の自分が、
無意識に閉じ込めたこと、
タブーにしてきたことも、全部自分なんだと出していい。

思いを出しているつもりでも、
心の隅にはまだまだ本当は違和感があること、
見ないようにしてきたこと、
それが「心の目詰まり」になっているから、
うまくいかない現実があるのかもしれない。

でも、傷ついても、何があっても、
自分の思いを素直に出す、それを楽しむことで、
「生きたい世界、使命」が見えてくるとわかりました。
ただただ、本当の自分のままでいればいいんです。

そんな風にわたしは、
「心」が持っている大きなパワーを、
もっともっと、伝えて行きたい。
いえ、そうしていかなくてはいけない、と、
思い至りました。

体の不調があれば、
食事療法、ヨガやマッサージなどのアプローチから、
体をほぐし、いたわり、加療するように、

心にもそう言ったメンテナンスや、
自分のこれまでの経験という屋台骨を生かし、
生きたい生き方を作る「リノベーション」作業が必要だと思うし、
もっと重要視されるべきだと思っています。
心のケアといえば、何か弱い人というように、
まだまだ捉えられがちです。
わたし自身が、「扱いづらい人」と言われてきたように。
サインを見逃さず、ただ思いのまま生きられる軸を太くしてあげること。

わたしは、
「本来の自分のパワーを引き出す、
心のメンテナンスのサポート」をし、
心の大切さ・力の大きさを感じながら、伝えていきたい。

かつて、
繊細で、感じやすく、
嫌というくらい、心に向き合ったわたしだからこそ、
できること・しなければならないことだと思っています。

現実に現れている事象と向き合い、
自分の心を解きほぐし、
本当の自分に還るための、
心の扱い方・向き合い方のお手伝い、
自分を知り、自分にしかない「使命」を、
自分の中で揺るがない幹に育てる。

だって、
今はまだ見えていないかもしれない、
溢れ出たい思いは、
絶対に眠っているはずだから。

心と心が触れ合ってできるパワーは、
さらにまた別の心から心へ、

「自分の経験全てが、使命になり、価値になる」

自分のありのままの心で、
そこから溢れる思いのまま、
トントンと、
人の心に優しく触れたら、
またその人の心が動き出して、
感性や可能性が広がっていくような・・・

夢みたいな話だと思われるかもしれませんが、
触れたパワーの波紋が広がって行くような、そんな世界を広げて行きたいです。

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