HOME  >   LMC認定講師一覧  >   堀部 優規子

岐阜生まれの横浜育ち。名古屋在住。
6歳まで岐阜で過ごし、横浜には13年いました。


親は転勤族で様々な地域の価値観に触れ合うことは当たり前だったので、何が良い悪いではなく、
それを受け入れ違いを認め、その人がその人にあった価値観を選んでいけばいい
と自然と思うようになりました。


価値観の違いに大きくぶつかったのは岐阜での大学生活のときでした。


私の兄は東京の大学に通っていましたが、小さいころから発揮していた強烈なリーダーシップで、学生団体を立ち上げ、企業からお金を集め大きなイベントを開催していました。


大学生ってそんなこともできるんだ~とその可能性を感じていた私は、岐阜の友人にその話をしました。


ところが、返ってきたのは、「それは、東京や横浜だからできるんだよ」という言葉でした。


いろいろなことに挑戦することは、地域や住むところが原因なのだろうか。
私のなかでもやもやした気持ちがありました。
大学で飲んだり遊んだりの日々も楽しいけれど、もっと岐阜でも挑戦できることはあるんじゃないのか。
と大学の外に出てみることにしました。


そこで出会ったのが、岐阜を活性化するために人材育成に取り組んでいたNPO法人でした。
自分たちの住む岐阜をもっと盛り上げたい。
誰かのせいにするのではなく、主体的に行動できる人を増やそうとするその法人の活動に、岐阜ってやっぱり面白いじゃん。
東京や横浜とか関係ない。
そう感じました。


そして、その法人のトップは私のくすぶる思いと漠然とした当時の夢を聞いてくれ、私の人生を変える大きな問いをくれました。


「じゃああなたは夢のためにどうしよっか?」。


衝撃的な問いでした。
思いや夢を受け止めてくれる場所がある、聞いてもらえただけでも感動したのに、その思いを叶えるための行動をしていいんだ。
そこから私の人生が大きく動き出しました。


私は、この人についていこう、と大学を休学してそのNPOの事業に参画をすることに決めました。
しかしながら、いつしか私は、恩師に気に入られたい、認められたいと、恩師の求めている解答を探すようになりました。


正解ではなく、私の視点からの私の意見を求めている恩師には、受け入れてもらえない日々が続きました。


それでも堂々巡りをする私は、いつしか自分の心が分からなくなり、何も生み出せなくなってしまいました。


結果、辞めるという決断をせざるを得なくなりました。
大きな大きな挫折でした。

 


残された休学時間、ふらふらと旅に出ました。
旅館で住み込みのバイトをしたり、海外にバックパッカーに行ったりしました。


そこには様々な幸せの価値観があり、それぞれの場所で生きる当事者がいました。


私は自分に問いました。
自分が当事者として生きる場所はどこだろうか。


外の世界は刺激的だけれど、地に足をつけて当事者として自分の住む場所で頑張りたい。
大学に戻り、自分のできることをまずはやっていこう。そう決意しました。


休学して事業をしていた私は、大学の友人からは変人扱いでしたが、どことなく羨ましそうに見る人が多くいました。


そこで気づいたんです。
みんな、ほんとはやりたいことがあるのに、地域だったり、親だったり、何かのせいにして思いにふたをして納得して生きられていないんじゃないか。


その思いから、私は、「自らの意思で人生を決め、選び、活躍していける世の中を創りたい」と就職活動のすべてのエントリーシートに記入し、内定を経て、大学を卒業し、社会に飛び出しました。


人材紹介会社の営業を経験した後、起業支援をするインキュベーション施設の受付の仕事に就きました。


自分の立ち位置を客観的にとらえ起業家の人たちが何を欲しているのか考えながら、受付としてできることを一つ一つ考え実行しました。
受付スタッフから拠点リーダーになり統括を任され、営業になりトップの成績もおさめられるようになりました。


大きな目標を見ながら、自分の立場を客観的にとらえ、できることをコツコツと積み上げていくことで、周りから認めてもらえることを体感しました。


そんなとき私に舞い込んできた話が、行政が運営する起業家や中小企業経営者を支援するビジネスサポートセンターの開設の話しでした。
そして、そのセンター長にはかつての恩師の名が。


挫折の経験が頭をよぎりましたが、恩師がどうのではない。
やってみたい、という自分の気持ちに素直になりチャレンジしようと決めました。


とても勇気のいる怖い挑戦でしたが、始まってしまえばそんなことを思っている余裕もありません。
引っ越しもして休日も夜も関係なくがむしゃらに働きました。


私の視点から感じること、思うこと、行動できることを一つ一つやっていきました。
2年ほどたち、事業が軌道にのってきて、全国からも注目される施設となりました。


恩師のためではなく、自らの思いで一生懸命にやったことが恩師から認めてもらえることになり、結果としてあのときの挫折を晴らすことができました。
あの挫折から10年が経っていました。


仕事が3年目に入った頃、チームメンバーのすれ違いや衝突が多く発生するようになりました。
新しいスタッフも増え個々のスキルに依存する属人的な体制から組織への転換期に入っていたのです。


私自身も自分の立ち位置を変え仕事の質を変えていく必要がありましたが、元々、人に教えたり育てたりすることに苦手意識を持っていた私には、うまくいかない日々が続きました。


兄や恩師のように人を導けないのはなぜだろう。何が足りないのだろう。
やがて辞めたいと思う気持ちと逃げたくないという気持ちの葛藤が続きました。


自分の事業を創っていこうと起業してしまえば、正当な理由で辞められるのでは?!と起業塾にも通いました。
でも事業がちっとも作り出せませんでした。
逃げという心が整っていない状態のままに事業を創ろうとしていたからです。


自分と向き合う日々が続くなか、LMC協会に出会いました。
そこで知ったのは私が当たり前のようにしていたことは、私がもっている強みであるということ。

 


強みも特性も違うのに、後輩も同じようにやればできるはず、と私の成功体験を押し付けていただけだったことに気がつきました。
私は自分の強みを強みとしてうけとり、兄や恩師にとらわれず、私は私らしく後輩を導いていけばいいんだ、と気づきました。
すると仕事が少しずつまわるようになってきました。


それでも組織の目指す方向との間に違和感が残っていました。


LMC協会代表の叶理恵さんが、経営者の3年目の踊り場の話をしてくれました。
3年目にトップが新たなビジョンを描くようになり、ビジョンがクリアになればなるほど、そのビジョンに違和感をもち、船を降りる決断をするスタッフも出てくると。


まさに恩師と私に起きている状況でした。
それぞれの価値観が展開するにつれ、目指す方向がずれてしまっていたこともセオリーの一つなのだと知り、違和感も前向きにとらえられるようになりました。


すると、いつの間にかふたをしていた「自らの意思で人生を決め、選び、活躍していける世の中を創ること」という自分のミッションでもある夢を思い出しました。

 


それは、起業家とか経営者とか関係なく、大企業に勤めていても、学生や主婦でも、自らの人生に主体的になり、納得感をもって生きられる人が増えてほしい、という想い。
逃げではなく、前向きな想いで、国からも注目されているセンターの事務局長という肩書きを降りる決断をしました。


起業をするのに心が整っていないとうまくいかないのは私自身が実証済みです。
もちろん起業がすべてではありません。


生まれた場所、地域に関係なく、人生を決めていい。
経営者でも会社員でも主婦でも学生でも、自らの気持ちに気づき、心を整え強みをいかしていくこと。
価値観の違いを認め、受け入れ、共感するところで協力し合うこと。


環境に言い訳をせず、「自らの意思で人生を決め、選び、活躍していく」ことをまずは私自身が体現しながら、皆さんの思いや気づきに寄り添っていきたいと思います。

 

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