HOME  >   LMC認定講師一覧  >   中島 春香

私は3人兄弟の長女として生まれました。

2歳下の弟は兄弟で唯一の男の子、6歳下の妹は末っ子ということで私よりずっとずっと可愛がられている…
そんな感覚をずっと持っていました。

弟のように唯一、の男の子でもなければ妹のように、可愛い末っ子でもない私…。
私の存在価値は両親にとって「いい子」であること。そんな風に思っていました。

夜眠る時も、母の両隣は小さな弟たち。父が単身赴任でいなかったこともあり、私は一人で冷たい布団にくるまって眠っていました。
たまたま母の隣で眠れた時、嬉しくて母に抱きついたら肩がこると言われたこともありました。

「この子はいつも甘えん坊で、私の腕を触ってないと眠れないから」

母がある日、弟をみながら私にそんなことを言いました。
私は甘えると拒否されるのに弟に甘えられると嬉しいんだそんな風に感じて「自分は愛されない」「自分は可愛くない」
だからこそ「いい子」「いいお姉ちゃん」でいなければそんな風に感じていました。

この“自分は可愛くない、自分は愛されない”という思いは、後の私の人生や、結婚生活に置いて、私の中で燻り、うまくいかない原因になっていました。

また、ある日、喧嘩した両親に「母と父とどっちについていく?」そんなことを言われた記憶があります。
きっと両親にとっては喧嘩がヒートアップしてついつい出てしまった一言。
私にとってはいまだに覚えているぐらい傷となった一言です。
私にとって父も母もとっても大切な存在には変わりありません。
でも私は、どれだけ父親が好きでも母親について行きたかった。
でも母は子供3人連れていくのは難しいから、きっと幼く可愛い弟たちを母は連れていって、私は父のもとに残されるんだろうなぁ。
そんなことを漠然と考え胸にポッカリと穴が開いたようでした。

男の子でも末っ子でもない、私が母のそばにいて愛してもらうために優先するべきは、自分の欲求ではなく、母の希望に合わせ、いい子でありいいお姉ちゃんであり続けること…他人の価値観に合わせて生きることで母の求める自分であろうとしました。
ありのままの自分では愛してもらえない…私は私ではなく“求められる私”“役に立つ私”でなければ愛されない。
そんな風に思っていました。

高校生になって自分の進路を考え始める頃も私は全く悩むことがありませんでした。
と言うのも、中学校に上がるの頃にすでに「将来、看護師になろう」そう決めていたから。
そしてその頃の私は「看護師になりたい」のは自分の本心であることを疑っていませんでした。

でも実はそれは真っ赤な嘘ということに最近気づきます。
セルフカウンセリングを通して出てきた「私は看護師になんてなりたくなかった」という思い。
母親から自分は小さい頃に看護師になりたかったけど両親に反対されてなれなかった、自分は本当は専業主婦じゃなくて子供がいても働けなかったんだと言う話を聞いていた私は、母の願いが自分の願いであるかのように感じていたようです。

自分を抑えて他人に合わせることは苦しいと、今となってはわかりますが、物心ついた時からその方法しか知らなかった私はそれが苦しいことにも、おかしいことにも気付きませんでした。

“ありのままの私”ではなく、“周りに求められる私”でいなければならない。

“役に立つ自分でいなければならない”

逆にその性質のお陰で、就職してからも環境に溶け込み人に溶け込むことで、穏やかで平穏な毎日を過ごしていました。
そして誰かのために役に立つ自分でいられる看護師は、私が存在するためには必要不可欠なものでした。
そして人に合わせることができる分、人間関係に大きな波風もない人生。
むしろ人に合わせることは自分で考えなくてもよいぶん、楽だったかもしれません。

私の生まれてから、結婚するまでの人生を一言で表すなら「凪いだ海」。
苦しくもなくて平和だけど、ただ空を見て流されるだけ…

ただ結婚して子供を産んでから「人の価値観に合わせる」ことに違和感を感じたり、苦しみもがくことが増えました。

最初の違和感は、結婚式のこと。
小さい頃からお嫁さんや、綺麗なドレスに憧れていました。
もちろん自分の花嫁姿も想像してその日が来るのを待ち望んでいました。
にも関わらず…私は結婚式を挙げないという選択をしました。
その理由は「結婚式なんて勿体ないよね」そんな母の何気ない一言が引っかかっていたから。

「誰も私が結婚式をすることは望んでないんだ…喜んでもらえないんだ…」

そんな思いを抱えてたから。

私自身が「式はあげなくていいよね」と夫に提案しました。
内心では夫が「そんなこと言わずに挙げよう」そう言ってくれることを望みながら。
でも結果は、「そうだね。そのぶん新婚旅行にお金をかけよう」それが夫の答えでした。

そんな出来事からスタートした結婚生活。
夫は私のことを理解してくれないという思いがずっと付き纏いました。
それに加えて、“私は愛されない”という思い込みが夫の一つ一つの言動を疑うことになり、相手を試してしまう…、愛されていない前提だから愛されていない証拠ばかり見つけてしまう…そんな悪循環でした。

新婚当初、夫がおやすみの日に夕食を作ってくれたことがあります。
ほんとだったら「作ってくれてありがとう」と感じるはずが…作ってもらってしまったことに罪悪感を感じていました。
本当は主婦である私が作らなきゃだめなのにやらせてしまった…後悔して、もっとちゃんとしなきゃと思った出来事です。
家事を夫にやらせることは妻としてダメなこと…そう考えていた私は子供が小さくても自分の体調が多少悪くても、家事を手放すことができずますます疲弊していきました。

2人の子供にも恵まれましたが、幸せな毎日どころか家事に仕事に子育てに追われる日々。
自分が何を望んでいるのか何をしたいのかも分からず「ママ」や「妻」という役割の中でただ生きるだけの日々でした。
それに加え、自分で家事を手放せなっかったにも関わらず、手伝ってくれない夫に不安は募るばかり…「離婚」の2文字が頭から離れることはありませんでした。

その頃の私は、心もボロボロなら見た目もボロボロでした。

毎朝7時過ぎには子供を抱えて出勤する日々。
帰りは早くて19時…そこから子供のお世話に夕飯の準備。
自分のことなんて一つもできないうちに布団に倒れ折れ込む。
夜勤の日は実家に子供を預けて病院に泊まるそんな毎日。
私は帰って座るまもなくバタバタしてるのに、何で夫は何にもしてくれないんだろう…
やっぱり私のことなんでどうでもいいんだと感じてました。

それに加え、朝ゆっくりと鏡も見れないメイクすら満足にできずに出勤、服装だって構ってる暇もなければ美容院にもいけない自分の惨めな姿に、ますます自分のことが嫌いになり自己肯定感も下がる悪循環でした。
そんな自分が惨めで、友達のランチの誘いにも着てく服がないからと行けず。
子供が生まれる前は、気軽に通っていた、栄や名駅、デパートのメイクカウンターが異国のように遠く思えました。

そんな時に、書店で偶然みかけた一冊の本「毎朝、自分の顔が好きになる」美塾というメイク教室を開催している内田祐士さんの著者から目が離せませんでした。

“今日も私だから幸せという人生がある”

本に書かれた一文。

私は幸せになりたかった。

私は私になりたかった。

その本と出会ってから

「私」は「私」のためにメイクを習って、
「私」は「私」になるためにカウンセリングを通して自分と向き合い始めました。
「私」は「私」を表現するためにファッションを勉強し始めました。

自分と向き合ったぶんだけ私は私を知り、好きになりました、自分を大事に扱うようになりました。

朝はどれだけ忙しくても、10分だけ早起きして鏡を見てちゃんとメイクをするようになりました。
私なんかがいくのは場違いと思っていた、デパートのコスメカウンターにも行けるようになりました。
長い髪が好きと言っていた夫のために伸ばしていた髪をバッサリ切りました。私は人の求める自分ではなく自分のなりたい自分でいる決意をしました。

その頃から夫とのパートナーシップも改善しました。
挨拶すらしない関係から、朝はハグで送り出す関係にまで。

自分が自分を扱うように回りも私を扱います。
自分を粗末に扱えば、回りもそんな風にしか自分を見てくれません。
自分ですら嫌いな私を誰が大切にしてくれるでしょうか?

自分と向き合う中で出てきたのは、私は私とのパートナーシップが取れていなかったいということ。
人の価値観の中で生きてきた私には「自分」がいませんでした。
看護師になったのは「母」の夢を叶えたかったから。
そして子育てをしながらのフルタイム勤務も「私」の望みではなく「専業主婦であること」にコンプレックスがあった母の「結婚しても働きたかった」その願いを叶えたから。
兼業主婦にも関わらず家事全般を手放せなかったのも、私が目指したのが母のような「完璧な専業主婦」だったから。

いつの間にか私は「私」を忘れていました。
私は何がしたいのか、妻とママと娘、看護師の私以外の私はどこにいるのか。
自分がないから、自分で決められないから「看護師になる」という選択も「結婚式がしたい」という選択も自分で決断することから逃げ、人に委ねてしまった。
それが結果的に私を苦しめている。
それどころか苦しんだ責任は私の願いを叶えてくれなかった「母」や「夫」のせいしてきたことに気づきました。

私は看護師以外の道を選択することもできたし、結婚式がやりたいと言えば夫は反対はしなかったはず。
母から兼業主婦になれと言われたことなんて一度もなかったし、家事や子育ても夫は頼めば100%やってくれたはず。

「選択しない選択」をしてきたのも、「頼まない選択」をしてきたのも紛れもなく私。

自分と向き合い、自分はどうしたいのか明確にする、その上で相手に察することを求めるのではなく、やってほしいことをちゃんと伝える。それを意識するようにしたことで、夫とのパートナーシップが劇的に改善したのだと考えられます。

人生とは自分で舵を取るものです。
人に舵を委ね、決断から逃げては自分の人生は生きられません。人の価値観に合わせて生きる限りずっと「自分迷子」になってしまいます。自分を取り戻すためには「自分とのパートナーシップ」を取り戻していくことが大切です。
「自分が何をしたいのか」「自分の望みは何か」を知る。その上で自分の選択に自分で責任をとっていく。

一昨年にはずっとずっと行きたかった「宮古島」へ家族で旅行に。
ずっと行きたいとは思っていたけど、家族4人で行くにはお金もかかるし、長い休みは仕事にも影響が出ると諦めていました。
でも伝えるだけ伝えようと、夫に言ったところ、何とか仕事をやりくりしてくれ、その上ホテルのお部屋もせっかくだからとグレードアップしてくれました。

そっか私は私の望みを伝えてもいいんだ。そんな風に思えました。

私は、LMC協会の幸せのコップの考え方がとっても好きです。

幸せのコップはそれぞれ形も違えば中身も違う。

それでいいし、それがいい。

親のコップや夫のコップ、世間が求めるコップに合わせるのは本当に苦しい。

今回、改めて自分の過去を振り返り、内面と向き合って出てきた私のビジョンは、

「1人1人が自分の幸せのコップを見つけて、自分らしく幸せな人生を歩める社会を作ること。」

ライフミッションは「自分迷子」になってしまった人が自分とのパートナーシップを取り戻していくお手伝いをすることです。
同時に「自分迷子になった自分」や「自分の生きてきた過去」を否定せず受け入れ、過去の自分も含めて丸ごと自分をもっと好きになって幸せになるお手伝いがしたいと思っています。

私は幸せは連鎖すると思っています。私の幸せが家族の幸せに、家族の幸せが職場の、社会の幸せに繋がると信じています。
でも私も含め子供が生まれママになると「私」という人格が分からなくなり自分迷子になることが多いように思います。
でも未来を担う子供のママだからこそ自分を取り戻し幸せになって欲しい。
ママの幸せは子供たちの幸せに、子供たちの幸せは未来の日本の社会の幸せににつながっていると強く思うから。
2人の子供を育てるママとして私自身がより幸せであり続けることはもはもちろんですが、たくさんのママたちが幸せな毎日を過ごせるようにカードコーチングや、1day講座を通して自分とのパートナーシップを取り戻すお手伝いがしていきたいと思っています。

このミッションは、母や夫、世間の求める幸せのコップに合わせて生きてきた私だからこそできることだと思います。

「自分」ではなく「人」の人生を生きていることに気づいたとき、私は私の幸せのコップが空っぽどころか存在すらしないことに愕然としました。だから私は自分を探し続けて、自分の幸せのコップを作るためにカウンセリング・メイク・ファッション・ストリングスファインダー占いや四柱推命に至るまで色々学び、診断を求め続けましたが、どれだけ探しても過去の中に自分はいませんでした。

でも今まで、自分がなかった私も「今の自分」で「私のコップ」であることにも最近気づきました。

私のコップの中身はきっとたくさんの人の思いや願い、価値観が入ってます。30年以上、人や世間に合わせて生きてきたんだから当たり前です。同時に、自分を探し求める過程で会ったり学んできた中で「自分」を大切にすること、幸せにすることの大切さも学んだし、どんな自分も自分であり否定しないことの大切さも学びました。それを実践している人にも沢山出会いました。

そして、色々な価値観や思いを受け入れ経験してきたからこそ、色んな人と出会ったからこそ、物事や人を多角的に見ることもできると思っています。

私の理想とするセミナー講師・リーダーは「安心・安全・ポジティブ」な場で相手の過去・現在・未来・陰・陽全てを丸ごと受け入れ肯定する講師でありリーダーです。
そしてジャッチすることなくフラットな目線で物事を見ていければと思います。
教える教わるといった縦の関係ではなく寄り添い・横のつながりでありたいと思っています。
ときには一緒に悩み歩いていく仲間であり応援団でありたいです。

私をおすすめする3つの理由

このようなお悩みはありませんか?

1Day講座を受けるとこうなります

この講師の講座を受講した方の声