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「私はなんのために生きたいのだろう?」

2011年3月11日、東日本大震災を機にこの問いの答えをずっと一人で探し続けていました。

7年間もの間、考え続けライフミッションコーチ®協会と出会い、私が見つけたライフミッション®は「生きている喜びを感じて生きる人を増やす」ことです。

現在は、そのミッションのもと「自然溢れる環境でありのままの自分で誰もが愛される存在であることに気づけるような居場所をつくる」というヴィジョンに向かって奮闘中です!
故郷のようにいつでも帰って来れるような愛に溢れた家族のように繋がれるみんなの居場所を作りたいと思っています。
安心・安全・ポジティブな場で自分を認められ、相手を認められ、本来の自分に気づき、自分らしく輝ける場所にしたいです!

そんなふうに思ったのは、実は私自身が自分の気持ちを閉じ込めて生きてきたからです。

 

 

誰にも心開けず孤独に苦しんだ思春期

私には兄と弟がおり、真ん中の一人娘として生まれました。男兄弟に挟まれていたからか、おてんばで、なんでも自分でやってみる好奇心旺盛な子にすくすくと育ちました。

しかし、私が中学二年生の頃、突如、生活が一変しました。子どもたちになんの説明もなく、母が突然、家を出て行き、両親は離婚しました。家に帰っても毎日いたはずの母の姿が消えました。私はその現実を受け止めることができませんでしたが、日々時間は過ぎていきました。

父は家事をやらないので、食事、洗濯、掃除、買い物、学校のお弁当作りなど家事はすべて子どもたちでしていました。父がお腹がすいたと言えば、ご飯を作り、洗濯が溜まったら、洗濯をする。反抗すると、父に「お前らだれのおかげで生活できてると思ってるねん」と怒鳴られる。まるで奴隷のような生活でした。私は親が勝手に離婚して、私が選んだわけでもないのに、親の都合でなんでこんなに辛い思いをしなければならないのだろと一人でよく泣いていました。

当時は両親の離婚のことを受け入れられず、友人にも知られたくなくて、誰にも相談できずに一人で耐え、自分の気持ちを押し殺し、苦しんでいました。

 

 

人生の価値観を変えたできごと

高校卒業後、岡山大学へ入学し、初めて一人暮らしがスタートしました。初めての土地、初めての授業、初めての人、全てが初めてで毎日ワクワクしていました。
家の家事からも解放され、自分のことを自分のためだけにできることは肩の荷が下りて、自由になった気持ちでした。毎日たくさん新しい人に出会い、サークルにも複数入り、バイトをし、とても楽しく、充実した日々を過ごしていました。

 

 

そして、私が大学三年生の頃、私の人生観を変える衝撃的なできごとが起こりました。2011年3月11日、東日本大震災です。家族、家、思い出の品…たくさんの人の大切なものを一瞬にして奪った衝撃的なできごとでした。

東北では、家も流されて毎日、一生懸命生きてる人がいるんだと思うと、動かずにはいられず、東北へのボランティアにすぐに申込み、2011年4月末、私は岡山から東京、東京から宮城県石巻市へと夜行バスを乗り継いで現地へ行きました。

学校の校庭にテントを張って毎日泥かきをしました。日和山という山から津波でたくさんのものが流された後の町の景色を見て、言葉が出ませんでした。あっという間に食べるものも着る服も移動する車も住む家も大切な人も何もかも流されてしまったのかと思うと胸が締め付けられる思いでした。あのとき見た風景とあのとき感じた感情は今でもずっと忘れられません。

 

 

一人の力は小さくてなにもできない自分が悔しかったけれど、少しずつ綺麗になっていく家や町を見ながらほんの小さなことかもしれないけれど、無力ではないと思えました。私が現地へ行って一番感じたことは当たり前の生活がこんなにもありがたいものだったのだということです。

テント暮らしは4月にも関わらず、雨や風も強く、とても寒かったので、温かい布団で眠れることはこんなにも幸せだったのか、温かいご飯が食べられることはこんなにも幸せだったのかと、そして、大切な人と過ごす日常がこんなにも幸せだったのかと感じました。今、生きているということが奇跡で、私の見ていた当たり前の日常の世界はガラリと変わり、すべてのものに「感謝」できるようになりました。

そうすると、ないものにフォーカスするのではなく、今あるものにとても幸せを感じられるようになりました。幸せになりたいと思っていたけれど、幸せというのは今あるものに気づくだけだったんだと思いました。自分が生きていて、しかも健康で大切な人がいて、ご飯も食べられて、家があると考えると幸せが込み上げてきました。

そのとき、自分の中でずっとひっかかり、滞っていた両親への思いに気づきました。両親が離婚したことをずっと気にしていたけれど、離婚していても、二人とも生きて元気でいてくれているなら、それだけで幸せだと思えました。たとえ形式上、離婚していても、今いる父と母は私にとってはずっと父と母なんだと思えました。親と言えども、親である前に一人の人間なのだから、親にも親の人生がある。子どもにも子どもの人生がある。私は私の人生を生きようと思いました。

そして、こんなにも幸せな環境にいるのならこの命をもっと活かそう、やりたいことをやろうと思いました。そこから私はどう生きていきたいのか、なんのために生きたいのかということを考え始めました。

 

 

ライフミッションを生きる道へ

2012年4月から私は社会人として働き始めました。私の就活時期は就職氷河期と言われ、何百社と説明会に参加し、厳しい就職活動でしたが、そんな中、会社の理念と自分の思いが重なり合う、外資系の生命保険会社に入社しました。やりがいはあったものの会社の常識や世間の常識に違和感を感じ始めた頃、「私は本当はどうしたいんだろう?」ということを日々問い続けていました。

平日は朝早くから夜遅くまで働き、土日はボランティア活動や様々なセミナーに参加したり、自分のやりたいことをやりながら過ごしていた時にプライベートで新たに始めたのが、ゆめのたね放送局のラジオパーソナリティでした。

ゆめのたね放送局は一般の人でも自分の個性を活かし、発信できるメディアを持てるように、”ご縁・貢献・応援”をテーマとしたラジオ放送局です。土日はラジオ活動で好きなことを仕事にしている人と関わる機会が多く、自分の好きなことを仕事にして、周りの人に喜んでもらえるような生き方がしたいという想いは日に日に強くなっていきました。

 

 

そんなとき出会ったのが、ライフミッションコーチ®協会でした。「なんのために生きたいのか」ずっと一人で自問自答していた答えがここなら見つけられるかもしれないと思い、飛び込みました。ライフミッションコーチ®協会なら、しっかりと自分と向き合い、ライフミッションを見つけ、言語化し、それに向かって進む環境があると思いました。

私は2011年の東日本大震災後、ずっと自分のライフミッションを探し、考えていましたが、それがずっと言語化できず、一人で悩み続けていました。震災の経験から当たり前の幸せや命の尊さに気づき、生きているということは、素晴らしいことだと感じています。

私は「命の豊かさを伝え、限りある命を懸命に生きる人を増やしたい」です。生きてるって素晴らしいことだと伝えたいです。どんな理由や条件であれ、誰もが誰かの大切な人で、誰もが未来に可能性がある。せっかく今生きているのだから、限りある命を懸命に生きようと伝えたい。生きていく中で、辛いことや苦しいこともあるかもしれないけれど、生きてるってやっぱり素晴らしいな、楽しいなと喜びを感じて生きる人を増やしていきます。

 

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