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私のミッションは
 「自分らしさを認め、傷ついた心を癒し
      自尊心と幸福感を感じる人を増やすこと」

私は、みんなもっと自由に本来の姿を表現し、
幸せで豊かに生きられると信じています。

 

 

母の言葉

 私は、兼業農家の家庭に4人兄弟の長女として生まれました。
幼い私の目に映る母の姿は、いつもつまらなそうな顔をしていました。
理由をきいても「そんなことはない」の一点張りで、しつこく聞くと
「こういう顔なんです。悪かったわね」と怒らせてしまいました。

そんな母が不幸に見えて仕方なく、そこから生まれた私も、当たり前のように“悪い”存在なんだと思うようになりました。

その考えを強固にした体験は、小学校時代に訪れます。
学校で「自分の長所をおうちの人に聞いてくる」という宿題が出されました。
いつも母は全然褒めてくれないけど、今回は学校の宿題ということだし、何かいいこと言ってくれるかなと、期待を込めて母に「私の長所ってなんだと思う?」と聞いてみました。
すると、返ってきたのが
「照美の長所? …ないね。」

私はあきらめきれずに「でも、学校の宿題だし、何か書かなきゃいけないから…」と食い下がりましたが、母は「お母さんには分からない」「褒めるところない」と答えました。

またある時は、両親の結婚式の写真を見ながら、自分の時はドレスは何色がいい?などと話していると「お前なんか結婚してくれる人いないよ」と、言うのでした。

幼いころの母の態度と言葉に、私は深く傷つき、自分は“ありのままでは好かれない”、“自分には価値がない”というセルフイメージで外の世界に出ていくことになりました。

誰にも好かれるはずのない私は、幼稚園ではかん黙児で、先生ともクラスメイトとも打ち解けませんでした。
それでは少し不便を感じて、小学校以降はコミュニケーションをとるようになりましたが、本来の自分で振る舞ってはいけないと思っていたので、いつもニコニコして自分の意見を言わない子どもとして高校生までを過ごしました。先生も両親も、「照美は大学に行く」と思っていたのを感じ、何の目標もなく県外の大学へ入りました。

 そこで出会ったのは、しっかりとした目標を持ち、積極的に大学生活を送る同級生たちでした。県外から入学した私に地元のことをいろいろと教えてくれて、また、私にも関心を持ってくれました。彼女たちが語る将来の夢はまぶしすぎて、私は直視できませんでした。
 こんな、なんのとりえもない自分にはこの場所はふさわしくない。
周りが輝いて見えて、優しくされるほど自分の薄っぺらさが際立ちます。
劣等感が刺激され、自分の気持ちを受け入れられなくなった私は、間もなく退学しました。

 大学を中退して、何もない自分が残りました。
自分に残されたのは“若さ”だけだと思っていました。
そこへ、母の言葉がよみがえります。

「お前なんか結婚してくれる人いないよ」

 1日でも若いうちに結婚してくれる人を見つけなくては!焦った私は、念入りに身だしなみを整え、着飾り、職場へ通いました。飲み会へも熱心に参加しました。結婚相手に見つけてもらいたくて、必死の毎日でした。
 大学中退の中途半端な女が、結婚もできないなんて、あまりにみじめで悲しすぎる。
早く結婚して、母の言葉の呪縛から逃れたかった。

 

1回目の結婚

 幸か不幸か、すぐに結婚相手が見つかりました。
ひと回り以上年上の、離婚歴と借金癖と転職癖のある、家はない男性でした。条件だけ見れば、誰もが反対でしたが、私にとっては大人の世界を教えてくれる素敵な大人の男性でした。彼は言ってくれました。「俺の言うことを聞いていれば間違いないよ」と。その言葉を聞いて、私は彼を頼もしく感じました。
そして曲がりなりにも結婚したことで、母の言葉に打ち勝ったつもりでした。

しかし夫や父親としての彼は、家のことや子どものこと、お金のことを私に任せっきりでした。普段は無関心なのに、七五三や運動会など、イベントの時だけ登場していい父親のふりをする姿。そして完璧にできない家事育児に対して、正論や一般論からのアドバイスをしてくる夫に不信感が募り、長女と長男を儲けたものの5年間で結婚生活を終えました。

私は大学中退のシングルマザーになりました。

 私に残されたのは長男と長女。彼らをちゃんと育てなくては!と決意したはいいものの、
“ちゃんと”って何?と疑問が湧いてきました。
 それまで子どもは苦手でしたが、自分が出産したら子どもたちがかわいくて、いつの間にか他の子どもたちもかわいく思えて、世の中がかわいいに溢れてると感じたわが子たちとの出会い。
 そんな世界を私に見せてくれたわが子たちの将来を、私が育てることで台無しにしてはいけません。なぜなら親である私自身は”ちゃんと”していません。私は、子育ての正しい答えを求めました。少なくとも自分で考えてはいけないと確信していました。

 

痛々しいアラサーシングルマザー

 そんな時に出会ったのが、1人の女性でした。
彼女は離婚後に就いた水商売の先輩です。いわゆる“毒親”育ちで、心身に虐待を受けて育ち、経済的な搾取も経験した苦労人でした。
 生まれながらに霊感があるという彼女は、“指導霊”を通して私に的確なアドバイスをくれました。私は仕事、子育て、人生のアドバイスを求め、その通りに行動し、人生をやり直していけると希望を持ちました。

 しかし間もなく、私たちの関係はいびつなものになっていきました。
彼女は次第に「照美のため」と言いながら、私の罪悪感を煽り、自分が多額の現金受け取る正当性を主張してきたのです。
 私がそんな要求に違和感を感じると、勘のいい彼女はそれを敏感に感じ取り、「私に悪い感情を持つと、“指導霊”があなたたち親子を不幸にする」と脅してきます。考えることを放棄した私は見えない“指導霊”を恐れ、自分の心に蓋をして、その言葉を信じます。
 私は彼女のアドバイスと引き換えに、多額の現金と労働力と時間、そして思考、人生そのものを明け渡していました。

 ある日“指導霊”は彼女を通して言いました。
「長女とあなたは相性が悪いから、離れて暮らした方が2人のためになる」というものです。私は、イヤでした。はっきり、イヤだと思いました。まだ6歳の長女の、これからの成長を近くで見守りたかった。もっとかわいがりたかった。手放したくありませんでした。

 でも、私は長女を手放すと決めました。

 携帯電話に入っている長女の写真も、「残しておくと、執着という悪い波動が出るから消去するべきだ」というアドバイスを受け、素直に従いました。

 これで幸せになれるはず。だって“指導霊”の言うことを守ってるんだから…

 私は長女を手放した後も、彼女の言葉に依存して、彼女のために働いて、生きてるのか死んでるのか分からない日々をすごしていました。しかし、一向に幸せは感じられません。

 そんなある日の午後、彼女のために仕事をしていると体がゆらゆら揺れました。
とうとう身体まで自分でコントロールできなくなったかと思ったら地震の揺れでした。

その日は2011年3月11日。
次の日は東京電力福島第一原子力発電所で爆発事故が起きました。
私の実家は原発から半径10キロ以内にあり、両親や兄弟とは地震からずっと連絡が付きません。家族が心配で何も手がつかない私の様子を見て、彼女は苛立ち、自分の方が辛いと主張し、身の回りの世話をするように促してきます。

やっと私は彼女と離れる決意が出来ました。
今まで「照美のため」「指導霊が言ってること」と称して、私からあらゆるものを奪った彼女に、大きな怒りを感じました。そしてその怒りを、もう抑える必要はないとようやくわかりました。この怒りは私の感情です。久しぶりに自分のものを感じた瞬間でした。

私は彼女と離れ、息子と2人で暮らせるようになりました。

久しぶりに感じる幸せな時間。誰に遠慮することもなく、息子と過ごす時間が持てる。
お料理したり、戦いごっこをしたり、絵本を読んだり。一緒に寝るのも久しぶりでした。

 

 

2度目の結婚

そんな私の姿をずっと見ていた男性がいました。彼女の元夫です。
彼は今までの元妻の行いを止められなかったことを詫び、私のことを好きだと告白しました。

 私は彼と再婚(事実婚)し、互いに子どもがいるので私と息子、夫と次女のステップファミリーになりました。
新しい生活は順調で、家族は仲が良く、お互いの子どもたちにも自然に接することができている…と思っていたのは、私だけのようでした。夫は、次第に私の次女への態度を疑うようになっていったのです。

 私と息子に厳しく向けられる夫の視線。そのことに気が付き、私は次女へ接し方に気をつけるようになりました。どんな時も、長男よりも次女を優先することにしました。しかし、夫は日に日に厳しくなり、私と息子が話をすることも「ひそひそ話をしている」と咎めてきました。そんな父親の態度を見て、次女は「自分はお父さんの本当の娘だから何をしても許されるんだよ!」と公然と息子に暴力を振るうようになりました。そんな子どもたちのありさまを見ても、夫は息子に「お兄ちゃんだから我慢するのが普通だろ」と言います。

 あまりのことに私は腹を立て、「“お兄ちゃんだから”ってなに?息子は好きで年上なわけじゃないわ。自分じゃどうしようもない理由で不当に我慢させられるなんてクソくらえだ!」という内容の言葉を、もっと汚い言葉で、今まで出したこともないような大声で叫びました。自分でも驚くほどの怒りでした。

 母はつまらなそうな顔をしていたし、褒めてもくれなかったけど、“お姉ちゃんだから”という理由で役割を押し付けることはしませんでした。母も長女で、祖父母には“お姉ちゃんだから”という理由でたくさんの役割を押し付けられて嫌な思いをしたそうです。だから、娘の私には自分と同じ悲しさを味わってほしくないと考えたのだと気づきました。

 同時にやってきた夫への怒りと母からの愛情に、涙が止まりませんでした。私は夫と別れようと思いました。別れるなら、今までの気持ちをすべて話そうと決め、何時間も話しました。これが私の心の内を他人に話した、初めての経験です。

 別れを覚悟で話し合った結果、その後の2人の関係はよくなりました。
嬉しいことも悲しいことも表現できるようになりました。

 私はそれまで、人間関係をうまくやっていくためには嫌われないことが大切だと思っていました。そして、母の言葉と態度から、私は自分の意見を言うと嫌われると思い、決して言うまいと決めていました。いつもニコニコ、本当の自分は出さずに、誰かの価値観に合わせていれば、幸せになれると信じていました。

 誰かの価値観に合わせた結果、得られたものは予想に反して“不幸”でした。

 

 

自分と向き合う時間

 自分の予想が外れたことで、心のことを学びたいと考え、出会ったのがLMC協会でした。

トゥインクルスター養成講座では自分恥ずかしい情けない過去と向き合い、同期と分かち合い、互いに深堀りしていきます。安心安全ポジティブな場で話を聞いてもらえる安心感は、私に癒しと、深い気付きをあたえてくれました。

講座中くじけそうな時の、たしろさと美講師の「大丈夫ですよ」という言葉に、私に安心感と勇気を覚えました。

 この安心安全ポジティブな場を、もっとたくさんの人に体験してほしくて、私は活動をしています。どんなに恥ずかしいことも、情けないことも、誰かに話すことでその時の感情が癒されていく。そしてその癒しはあなたの成長をうながします。
 本来の自分で生きる人であふれる世界は、どんなに幸せでワクワクすることか!そんな世界を見るのが楽しみでなりません。

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