私は4人家族の長女として、予定日より早く小さく、
そして左足に“内反足”というプチハンデ有で生まれてきました。
幼稚園入る前に手術を2回ほど、小学4年生頃まで毎晩ギブスつけて寝ていたんです。
2歳頃、お手伝いで味噌汁を運ぶ際に転び腕に火傷。
それ以降、母は私をキッチンに入れないようになります。
足のことに加え火傷のことで母はとても心配し、私の身体のことをさらに気にするようになっていたと思います。
園生活で一度、私の履いてた靴が少し特殊だったことで、靴が捨てられる…
ということがありましたが、超ポジティブだったのか、超何も考えてなかったのか…。
この時も、特に足の事は気にせず過ごします。
母は私の住みやすい環境を選んだそうで、その環境のおかげもあったと思います。
学校に通い出してからも、
ハンデのことは特に気にもせず、それが原因でイジメなどなく過ごしていきます。
が、ある時から、私自身で勝手に問題意識を持ち、マイナスなことを考えるようになります。
一つめは、運動会の“クラス対抗戦”
足を見られることは特に気にならなかったですが、走ることが苦手なので
負けるとわかっているレースに出場することが苦痛。
そんな私は運動会を“拒否したい”ということが言えませんでした。
理由は、
「自分で考えて行動しろ!」「みんなも頑張っているんだから頑張れ」
という大人の言葉。
「みんなも頑張っている」と言われると、
(拒否する私は頑張りが足りないんだ。言わないとこう…)と思い、自分で考えた結果、
“自分の気持ちは抑えて我慢をすればいい”と考え、“我慢をする”
という結論になりました。
運動会当日、最後まで走ります。 が、やっぱり負け。
私の心に残ったのは、
・クラスみんなの勝ちたい気持ちに応えられなくてごめん…
・親に勝った姿をみせて喜ばすことがずっとできないんだ…
という申し訳ない気持ち
この後も毎年行われる運動会や体育祭、体育の授業など団体戦は辛かったです。
二つ目は、通知票です。
体育のペーパーテストで良い点数でも、成績は実技との総合評価。
クラス全体で数値化された結果、いくら勉強を頑張っても私の通知票の体育欄に4や5はなかったのです。
(いくら頑張ってもダメだぁ。学生生活が終われば、悲しさから解放される。長いけど高校3年まで我慢すればいいこと!)
と思うようにしていきました。
“身体の機能的にできない事”を我慢していくうちに、自分の存在価値まで否定してしまいそうになったので、
・これ以上我慢することを増やしたくない
・つらいから避けたい
と思い、みんなと同じようにできない事は何かを考え、できない事はやらないようにする。
それを続けていくことで、ささいな“できない事”までも見つけ、
“できない” という白旗を持ち、私は自分を守るようになっていきます。
小さいころ持っていた夢も、どれも“できない”と考え
このあたりから、将来の夢を考えることがなくなり
私は自ら、心の風邪をひき続けることになりました。
当時の私は、
・身体的にみんなより選択肢が狭くなるという事実は仕方ないこと。
なのに、みんなと同じ土俵にある選択肢でしか考えていなかった。
・ハンデを理由に、できることをみつけようとしてなかったのです。
高校・大学と自ら選択した学校ではなかったこともあり、学生生活はただその日を楽しむ日々で過ごします。
大学では小学校の教員免許が取得できますが、体育の授業のことを考えると難しいと思い取得もやめ、
いいなと思う職も、身長制限や健康体でないことで、受験資格がなかったり…
当時お付き合いしてた人と、卒業後結婚を意識したお付き合いをしていましたが、卒業に近づくにつれて、お相手の家族にご迷惑になるかもしれないという不安、こんな私じゃなくて普通の人のほうがいいのでは…と自分から嫌われるようにしてお別れしました。
大学終了し就職もせず、小さいころから大学まで専門的にやってきたことも趣味に。
そのために、お金を稼ぐ…の日々。
ライブハウスやイベント会場・福祉施設で演奏活動とそのための練習が楽しみでした。
こんな私にも唯一残っていた夢がありました。
それは、“結婚式をする”ことです。
学生の時の気持ちと不安を持ちつつも、26歳でお付き合い始めた彼にはじめて自分の足の事を話しました。
彼の「そんなの関係ないんじゃない」という言葉を聞いて私は安心でき27歳で結婚。
私は、(こんな私と結婚してくれたから、よい奥さんにならなきゃ!)と思い、自分の中のよい奥さん像になることを決めます。
結婚をして、特に目標もなくなっていた頃、
私は心にいろんな不安を感じつつ、子どもを授かりますが、生まれて1週間で旅立ってしまったのです。
先生からは、生まれてくることができないかもと言われていたので、
生まれてとても嬉しい~!と思った矢先の旅立ちに私の心は壊れはじめました。
・子どもを助けることができなかった罪悪感
・何にもできない自分を再認識
無価値感が大きくなり、自分で自己肯定感を下げて自分の存在価値まで真剣に問いました。
それでも、「周りに迷惑をかけてはいけない」「私と同じ悲しみを親にさせたくない」という気持ちが
私の存在をなんとかとめていたようです。
3年という月日と家族の支えでなんとか気持ちを上げ、子どもを産むことに反対していた主人に、もう一度子どもを考えたいと伝え、妊娠~出産。
嬉しかったです。
が、障害ハンデなどがないかすごくチェックしました。
ありがたいことに、ハンデがなかったので、今度は私の中にある“しっかりと、ちゃんとしたよいお母さん”になろうと決め、家の中も外遊びも、フルで子育てに全力で力をいれてました。
子どもが成長していくうちに、子どもの口ぐせが気になります。
それは、「ヤダ・ムリ・できない」という言葉。
特に私は「できない」という言葉がイヤだったのかもしれません。
当時はイヤな意味がわかってなかった私は、子どもの発達が気になり、数か所の病院へ行き診断してもらいに行きました。
ある病院先生から
「お母さん、お父さんの役までやらなくていいですよ。もしご主人に話せなかったら私からお話をすることも
できますよ」
と言われたことで、
「子育てをしている私に何かあるかも?」
と思い、今までの子育てを見直してみました。
それまでの私の子育ては、
・しっかりしたお母さんと思われたかった
・子どものことを考えているようで、全然考えてなかった
と気づきます。
それからは、私の中にある、ちゃんとしたお母さんになるための子育てをやめていきました。
家では、主人に「外遊びだけでも一人で連れていってほしい」と言えました。
一人の時間に家事ができ、はかどることにとても感動して泣けたことを覚えています。
「家事に育児全て、働いてない私がやらなければ」「仕事している父親には休日休ませてあげなきゃ」との考えを
持っていたから主人に「お願い」や「手伝ってほしい」と言えなかったんだと気づいていきます。
心の余裕ができた頃
(これまでの子育てでは私の愛情が足りてないかもしれない…)
と思い、親子の絆を深めるベビーマッサージを学び講師の資格取得。
生活にスキンシップ・ふれあい時間などを取入れていくことで、子どもの変化をとても感じていました。
が、「ヤダ・ムリ・できない」は止まらず、悩みは続きます。
ある時、脳科学と言葉の力の大切さの講座を知り、一刻も早く子育てに活かしたい私は学び講師になります。
そこでわかったことは、今までの私は、
・子どもに「(健康体なのに)なんでできないの?」というような言葉を言っていたことで、子どもの自己肯定感を下げていたこと
ではなぜ私がこの言葉をいうのか…その理由が
「できない私」
白旗を持ち続けている私の気持ちが、子育てに影響している とわかりました。
この時子どもは年中さん。
園の先生の力を借りながら、ベビーマッサージとスキンシップ、言葉がけも意識し、息子の自己肯定感をあげるような子育てにしていくと、
息子の口ぐせ「ヤダ・ムリ・できない」は、「無理かもしれないけどやってみる」と言葉が少しずつ変化!
今まで私がやっていた “できないとこ探し”をやめて息子の“できた”をみつけ認めていくことで、息子の気持ちの
変化や口ぐせの変化にかかわっていたのかなと思います。
なんとなくいい方に進みはじめた頃、息子が3週間入院しました。
このことがきっかけで、私は食事を見直しようと考えます。
私は、小さい頃の火傷で台所に立つことがなかったし、キッチンでの長い立ち作業が苦手なのもあり、調理をすることに苦手意識をもっていました。息子が退院するまで「切る・焼く」以外、ほぼ作ったことなかったです。
食事を改善のため栄養学や健康セミナー、
なんと料理苦手な私が、クッキングへ通いはじめます。
どんな材料でどんな調理されて…なんて考えたこともなかった私は目から鱗が落ちるような学びがたくさん。
学んでいくうちにようやく、生きていくために幸せに過ごすためにはまず “体が一番大切!”と思えたことで、栄養を逃がさないような調理を学び、息子が退院してから、少しずつ食事を変えていきました。
フライパンを焦がし毎年買い替えていた私が、子育てしながら料理ができるようになったのも、
簡単で入れるだけレシピや火加減が数字でわかる調理道具のおかげ。今は焦げることもなくいですし、揚げ物も家で作ります。そして私が経験してこなかった親子でお料理。たまに我が息子とお料理をします。
健康を考えたからでしょうか。
体に必要な材料を摂取し栄養が満たされていくことで“子どもや家族が健康”になり、家が明るく笑顔が増えました。
言葉に食事の変化…いろいろやらかしますが、今息子は元気で小学生生活を楽しそうに過ごしています。
そんな成長している息子の姿を見て、「私も子どもと一緒に成長したい。成長しているところを見せたいな」と思い
「仕事をしよう」と考えます。
子育てをはじめてから、ベビマや言葉の力を使う講師など資格を取得してきました。が、なぜか大きく動けない。
そんな動けない自分は、「私にはもっと知識が必要!」と思い学びのインプット生活をはじめ、お金と時間をアウトプット。
たくさん学び本も読んできたけれど、どうしても動けない・できない自分に、また自己肯定感を下げます。
そんな頃に講師仲間・ママバラの吉田淑恵さんからTW養成講座の紹介があり、嬉しく思ったことがあります。
紹介される3年前にメンタリングカード1Day受講。その後も一人カードで内面を掘っていったことで、私は今まで思ったことのない行動をしたことがあります。
1Day講座を受講する前くらいに実の母が亡くなりました。本当にとても悲しかったですがそんな私の中に、
モヤモヤしている気持ちが1つ残っていました。
このモヤモヤはなんだろうと、カードコーチングをして出てきたのは…
・母の最期の言葉の“ごめんね”はどういう意味か
・家族以外でも助けてと言える人、場所がほしい
そして“障害手帳”という言葉が出てきたんです。
次は障害手帳に対してのモヤモヤしたんです。理由をカードコーチングしていくと…
・親がフツウを求めていたような気がして、ハンデのことは親に一度も聞かず話をしてなかったこと
・親の最後の言葉「ごめんね」には、母は私のハンデに対して罪悪感をもっていたのかもと思ったこと
・手帳を持つのは、甘えじゃないか? もっと大変な人がいるのに、歩ける私が持っていいのかな
など…
メンタリングカードでカードで自分に向き合っていくことで一つずつクリアーにでき、
障害手帳を持つ行動し申請しました。
カードコーチングでここまで内面を出しととのえることができ、心や行動の大変化を体現してたので、この協会とつながれることが嬉しいと思ったことです。
認定講師になるために学んでいく中で、
・私の“できない”というのは、自分の気持ちに我慢していたこと。
・“自分の存在価値を守っていた”
そして
・自分のことなのに、自分もわかっていないことがたくさんある
と気づかせてもらうことができました。
“細胞記憶の癒し”と“グランドルール”
“安心・安全・ポジティブの場で分かち合える人がいる”ことで
・何があるかわからないこの世の中が不安な場所と感じていたことと
・こんな重い話をしたら相手を困らせてしまう、私との接し方が変わってくるかもしれないという不安があった
のでこれまで書いてきたことを他の人に言えなかった
ということもわかり、この協会が大切にしグランドルールにしている「安心・安全・ポジティブの場」
の必要性を感じています。
もう一つ、安心・安全・ポジティブの場の必要性を感じるきっかけがありました。それは2016年に発生した障碍者に対してあった事件。
障碍者の存在に対し、悲しい考えをする人がいる現実をテレビの情報で知り、
私がなぜ世の中に対して安心できてなかったか改め気づき、安心できる場所が絶対に必要だと確信しました。
ここまでの話をまとめます。
1つ目は、
自分の気持ちに気づかず勝手な思い込みにより、
本当はできることも「ハンデの“せい”」にして、夢を見ることをあきらめたこと。
ハンデの自分に“OK”を出せず母をたくさん悩ませていたと罪悪感を持っていた私がいたこと。
2つ目は、
「環境」の大切さ。その環境は「安心安全の場」
どんな人も自分自身を受け入れ、そして家族もハンデを受け入れることができているか。
世の中の人みんなが、どんな人も“人”を受け入れることができるか。
家庭や環境で、「みんな違ってもいい」ということを伝えることができたら、あの事件を起こすような考えの人を
減らすこともできるのかなと思います。
3つ目は、
親や周りの人の言葉や思考などは人に影響を与えること、特に子どもは影響を受けやすいと実感。
自分で考えることも必要。そこに追加し、話し伝えることと聴くことが大切なこと。
大人は子どもたちに、どんな言葉をかけ、どんなことを伝えてどんな成長を望むのか
一度考えることが必要ということ
この協会で自分と向き合い、気持ちを整理し、
湧いてきた私のミッションは
————————————
どんな理由があっても
自分の気持ちを大切にできる人
できない理由を考え根本を知り気づき
心の調和がとれる人
幸せになることを選択していく人を増やす
————————————
です!
たくさんの人が自分の本当の気持ちに気づいていくところから、私は伴走します。
できない白旗を変えて、自分の幸せに向かう旗を見つけましょう♡
長文、最後までお読みくださり
ありがとうございました。
私をおすすめする3つの理由
- ハンデありで学生生活~結婚出産・子育て…その都度に心の中で葛藤してきました。ハンデやコンプレックスに悩む方や周りの方たちに、私の経験談を交えながら寄り添いサポートいたします。
- はじめましての方から、昔からよく知ってる人まで『癒される』『安心できる』『初対面でも話しかけやすい』と言われることが多いです。親しみやすい雰囲気で、安心・安全・ポジティブな場をお約束いたします。
- 夢を持つことを諦めたのは小学生の時。子育てを通してたくさん学び続けた私は、自分の心と向き合いハンデを心から受け入れ、今夢を持ち幸せに生きていくことを選ぶことができた私だからこそ、どんな人も幸せに生きたいという気持ちにジャッジなく、ありのままの相手を受け入れることができます。
このようなお悩みはありませんか?
- 自分に自信がない
- 他人の目が気になって動けない
- 安心して自分の気持ちを話せる相手がいない
- いつも同じことでモヤモヤしたり、イライラした気持ちになる
- ただなんとなく過ごしている人生に、このままでいいのかと思っている
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- 周りの意見でなく、本当の「自分の気持ち」に気づくことができます
- 自分の気持ちや考えがととのっていき、スッキリします
- 他人と比べず、自分は自分でOKと思えるようになります
- 自分の人生を「私軸」で選んで歩んでいくきっかけが作れます
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