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初めまして!
アメリカのワシントン州、シアトル周辺在住の万季千鶴です。

私は、ごく平凡な日本の厳しいお父さんの家庭で育ちました。
厳しい父に教育熱心な母、恥ずかしがり屋で自信のない私と、弟二人、仲良い時もあれば悪い時もある、普通の家庭でした。
私の父は国際交流が盛んな私立高校で英語の教師をしていて、国際交流部の部長として、留学制度の運営をしたり、アメリカ·カナダ·オーストラリアの現地へ出張して留学生受け入れの下準備をしたり、教育にとても情熱的な人でした。


16歳で渡米

その父が、アメリカに留学して英語を外国語として教える教授法を学ぶという長年の夢が叶った時、家族を連れて引っ越すという大きな出来事になりました。
私が16歳の時、高校2年の夏のことでした。

 

初めは英語も全然できず、Yes·Noと、単語しか話せなかった時期もあり、毎日片手に辞書を持って先生のところに質問に行ったことは、今でも鮮明に覚えています。
毎日慣れない英語で頭や神経を使って、一日一日がとても大変でした。

元々引っ込み思案だった性格もあり、英語を間違えるのが怖くて話せなかったり、自信がないから声も小さかったりして、余計に理解してもらえませんでした。
クラスの前に立ってのプレゼンテーションの時などは、怖くて緊張して、声が震えていました。
大学も終わりに近づいた頃、やっと、間違ってても良いから自分の意図してるところが伝われば良い、と思得るようになってきました。
言語は、その言語圏内に住んでいれば、大体年月が解決してくれます。
もちろん努力はたくさんしましたが、その後はいろいろ苦しみ悩みながらも、学士·修士を終え、日本語の教師になりました。

英語が苦ではなくなってからは、日本語を使う機会があまりなくほとんど日本語を話していない時期もありました。
ただ、自分ではアメリカの文化に溶け込んでると思っていても、外見が違うし、日本語を忘れかけてても英語もうまく出てこないこともある、日本人としての常識は危うい、かと言ってアメリカ人にはなりきれない、などの問題がいろんな場面で浮上して、日本人でもアメリカ人でもない自分って何だろう、と、悩んだ時期もありました。
英語がうまく出てこない日に小馬鹿にするようなことを言われ、すごく悔しい思いをした事もあります。

ただ英語ができない·ぎこちないというだけで、頭が良くないかのように扱われるのがすごく嫌でした。
外見が違って、体もアメリカ人の標準からしたら小さいし、実年齢より幼く見えるというだけで、私の考えまで幼いかのように扱われるのがすごく嫌でした。
英語がいくら達者になっても、社会人になっても、知ってか知らずか差別をする人はどこにでもいました。


結婚と離婚

彼とは7年越しの交際を経て結婚、子供も二人授かりました。
その頃から彼の酒癖が度を越して悪くなっていき、夫婦の仲も悪化し、何度も言い合いをしました。
長い間悩んだ末、子供のためにも離れた方がいいと思い、離婚を決意しました。

離婚は1年かかってようやく成立しました。
その頃にはもういろいろな事がありすぎて、自信喪失、自己評価はどん底、何を考えてもどうしてもネガティブな方に思考がいってしまっていました。
子供達も「親の離婚」と言う状況に気持ちがついていかないのか、喧嘩ばかりするようになっていき、私自身、それまでのこととシングルマザーの大変さに心身ともに疲れ果てていました。


コーチングとの出会い

ふとしたところで思考がどうしてもネガティブになってしまい、
「これじゃいけない、どうにかしなきゃ!」と思っていた時に、
アイリーン·トモエ·クーパーさんに出会いました。

彼女は日本人女性に向けて、ハーモニーサイクルというコーチングプログラムを提供していました。
そして、彼女の寄り添いながらも厳しいことも愛をもって伝えてくれる、そんなコーチングにとても救われました。

講座のワークでは自分の価値観について深く考えされられ、少しづつ自分がわかってきて、自分を取り戻せてきました。
自分にとって何が人生の中で大切なのか、自分は本当はどうしたいのか、自分の軸の部分を組み立てていくことをして、
自分のダメな部分、負の部分も一旦受け止めて、受け入れる事ができるようになり、少しづつ浮上していきました。

元夫は、離婚後もう一騒動あって死にかけた後、ようやく目が覚めたのか、リハビリも真面目にやり、それ以来ずっとお酒は飲んでいません。

子供達にもいいお父さんになりました。

私は長い間ずっと、彼に対する怒り恐れが心の中に渦巻いていましたが、コーチングでの教えを実践し、元夫とも重ね重ね話し合いをした結果、お互いの非を認め、非を許しあい、わだかまりを溶かし、今は以前に近い、親友のような立ち位置で接する事ができるようになりました。

2019年に父を亡くし、
その半年後くらいに、末期癌を患っていたアイリーンの訃報を聞きました。
そして一周忌を終えた頃、アイリーンの「100万人に愛を届ける」という夢を引き継いだIrene Big Love Projectからのお誘いをきっかけに、勉強会のファシリテーター、イベントの実行委員など、ハーモニーサイクルのコミュニティに深く関わるようになりました。


ライフミッションコーチ(LMC)®協会との出会い

教師を続ける事が私のやりたい事なのかとすっと迷っていましたが、自分が割と上手くできることだから、離れようとしてもなぜか教師に戻っていくということを繰り返していました。

アイリーンのコーチングを受けてからは、
ライフコーチになって自分も他の女性の力になりたい、という思いが出てきていましたが、いまいち踏み出す決心がつかずにいました。

そんな時、LMCの1Day講座を受ける機会があり、そのおかげで自分の想いを掘り下げて想いを明確に認識、今自分が本当は何をしたいのかをはっきり描くことができ、コーチングへの道を目指すことを決意しました。
そして、LMC協会のフィラソフィー等を知って、考えに共感して、LMC協会の魅力に惹かれて、LMCの認定講師になることを決めました。

私が教師という役割の中で好きなのは、自分の習った事·知ってる事·知識を他の人にシェアして、それがその人のためになっていること、その人の助けになっていることを見る事です。

そこで気がついたのは、教えるのは何も日本語や英語でなくてもいい、ということでした。
アイリーンのコーチングが私をどん底から救ってくれたように、私の知ってること、ハーモニーサイクルとLMCで習ったことを、他の人にも伝えたい、そして私がシェアできることをその人のために役立てて欲しいと思います。


私のライフミッション

「自分の中のハーモニー、価値観を見つけて、
それに沿った生き方ができる人を増やし、
人生を少しでも生きやすくするお手伝いをすること」


私が通ってきた道は、過ぎてみると、不幸の中でも比較的幸運だったように思います。

ハーモニーサイクルに出会い、LMCに出会い、安心·安全·ポジティブの場を複数経験する事ができて、それが自分の傷ついた心にバンドエイドのようになって、色々な気づき、学びをもらえて、傷が治っていきました。

それぞれの場でできた仲間は、私にとってとても大事な、かけがえのない人たちです。

元夫にしても、離婚後は仲が険悪になる人たちが多い中、私たちは比較的良好な関係を保つことができています。

自分の価値観に沿って生きている人は、幸せだと感じる度合いが大きいと言います。

私は多くの人に
安心・安全・ポジティブの場を提供し、ハーモニーサイクルとLMCで習ったことを使って自分を知っていくことの手助けをしたいと思います。

私自身、安心・安全・ポジティブの場にとても救われました。

そんな場を私を通して多くの人に経験してもらって、自分の価値観に沿った生き方ができる人が増えるお手伝いをしていきたいと思います。

そして、人生のターニングポイントが否応なしにやってきた時、どんな状態でもその時その時のベストを掴む生き方ができ、生きにくい人生を少しでも生きやすくするお手伝いができたら嬉しいです。

私をおすすめする3つの理由

このようなお悩みはありませんか?

1Day講座を受けるとこうなります

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