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私は、自営業の父と、専業主婦の母のもとに産まれました。
2歳下に弟がいて、長女です。

父は、私と弟には、優しかったが
母に対しては、優しくなかったです。

父は母に、日常的に
「3食昼寝付きでえぇなぁ」
「もっときれいな、新しいお母さんがきてくれたらいいのに」
なんて言っていました。

母は適当にあしらっていたので
ただのコミュニケーションだと思い、私も笑っていました。

でも、心の奥では「本当に離婚するかも…」と不安を感じていました。

 

 

子どもの私から見た、母の日常は
毎日の家事、自営業の父のサポート。
友達に会うとか、趣味の時間は、ない。
でも、感謝の言葉を言われることもない。

楽しそうな母の姿が記憶にないため、私は
「お母さんみたいにはなりたくない。専業主婦はいやだ。」
思うようになりました。

とはいえ、暴力を振るわれたとかではなかったので
「うちは普通」と思いながら、成長していきました。

 

 

中学生になると、音楽を聴くのが好きになりました。
特に好きだったバンドは、ミスチル。ミスチルのライブで感銘を受けて
舞台照明の仕事がしたい!と思うようになりました。

その後、イベント会社の照明部に入社。ミスチルの現場にも行けました!
現在の夫とも、会社で出会い、7年間務め、退職、結婚。
翌年に長男が産まれました。

 

舞台照明の仕事を辞める時。
「次は、結婚して子どもを産んでも、学び続けられる仕事をしたい」と思い
保育士の資格取得を目指しました。

当時私が、子どもと関わる仕事で思い浮かぶのが、保育士しかなかったからです。

 

ユーキャンで保育士の勉強をしながら、
学童保育の指導員と、飲食店のアルバイトをかけもち。

当時は、保育士の試験が年に1回。3年目で、ようやく合格しました。
その時、長男が0歳9か月でした。

初めての子育てと、資格とれたばかりの保育士の仕事。
両立は難しそうだと感じ、保育園などの現場で働くことには、踏み出せませんでした。

 

「せっかく勉強して、保育士資格とったのに…」
モヤモヤした時、ファミリーサポートや、アズママを知りました。
登録した会員同士で、送迎や託児を頼り合う仕組みです。

これなら、
わが子と一緒にいながら、保育士の資格を活かせる!
送迎のサポートや、子どもの預け先がなくて困っている人の、役に立てる!

ブログやイベントで「私のこと、頼ってね!」発信するようになりました。
依頼してくれるママたちも、よろこんでくれました。

今思うと「母みたいになりたくない。専業主婦でいたくない。」
の気持ちで、動きすぎていたのかも。

 

 

そして、ある日
アズママのイベントで自己紹介していた時に、気付いたんです。

「私のこと頼ってね!
 って言ってるけど…
 私の頼り先…ないかも…!
 夫は仕事が忙しいし
 専業主婦の母を見てきたから、家事育児は母親の仕事 の意識が沁みついてて
 夫を頼ることが、できない。
 実家は隣の県。旦那さんの両親は働いている。
 気軽に預けられる身内が…いない。」

自分の状況と、周りに言ってきたことの矛盾に、ショックを受けました。

でも、それを素直に打ち明けたことで
アズママの仲間や、過去に私が預かったお子さんのママから
「愛ちゃん、私のこと頼って!愛ちゃんの子、預かるよ!」
言われました。実際に預かってももらえました。

 

託児中の、わが子の楽しそうな写真を見たり、様子を聞かせてもらうことで
子育ては周りを頼ってもいい。遠くの身内より、近くの他人。
思えるようになりました。

そうなって初めて
専業主婦だった母も、実母を呼んで家事を手伝ってもらったりしていたこと。
周りを頼っていたことを、思い出しました。

当時は、父が母をなじる言葉ばかり言っていて、気付けなかったけれど
自分がワンオペ育児で、周りを頼らずがんばりすぎて、キャパオーバーになる経験をしたことで、
母が周りを頼りながら、がんばっていたことに気付き、感謝の気持ちが溢れました。

 

家事育児の大変さを感じつつも、周りを頼れるようになった私は
長男が幼稚園に入園するまで、いろんな子育て講座や、親子教室に参加。
入園とほぼ同じタイミングで、次男が誕生。

次男が6か月の頃に参加した
スキンシップの講座が、心に響きました。

長男妊娠中に、保育士の勉強をしていた私は、長男出産後もずっと
「もっと学ばなきゃ。もっと知らなきゃ。」の気持ちでいたのです。

でも、このスキンシップの講座で
「子育ては、難しく考えなくていいんだよ。
 かわいいなぁ~って、たくさん触れてあげると、いいことがあるんだよ◇」
身体で感じさせてくれました。驚きと感動がいっぱいでした。

 

他のママ達にも、この感動を味わってほしくて、講師になりました。
講座を定期的に開催するようになった数年後
コロナでリアル開催ができなくなりました。
でもすぐに、オンラインでできる内容を考え、切り替えることができました。

他のことにも興味が出てきて、性教育や心理学の学び、カードカウンセリングもするようになっていました。

 

そんな時、4年生の長男が「学校に行きたくない」言うようになりました。

理由もはっきり言わなかったため
「まぁまぁ、がんばって行ってみよう?ね!」と、行かせたところ
「牛乳飲みたくない」「友達に嫌なことされた」と、理由を言うようになりました。

しかし、それを解決しても、行きたくない気持ちは、強まる一方。
冬休み明け、学校の前で「こわい…」泣きそうになって固まる姿を見て
「このまま無理に行かせても、意味がない」と思い、行かせようとするのをやめました。
そしたら、そのまま不登校になりました。

 

わが子の不登校という、予想外の出来事に、私の自分責めが爆発。

 

「今日も休みます。」


学校への電話連絡が続いたある日。
「お母さんも大変ですよね。」電話口から返ってきた優しい言葉に、号泣。

「今日も休みます。」と言いながら、頭の中では
「今日も私は子どもを学校に行かせられないダメ母です。」
自分で自分を責めていたことに、気付きました。

 

その頃から、SNSで発信することが、以前のようにできなくなりました。

自分が提供していた講座や、カードカウンセリングではよく、子育て中のママさんに
「大丈夫だよ!」って言っていたからです。

「今の私はきっと『子ども不登校?大丈夫?』思われてるだろうな…
そんな私の発信なんて、笑われてるかも…」思うようになりました。

 

そして
「なんで私は、性教育の発信や、カードカウンセリング、したいんだろう?」
「こんな私に提供できるものなんて…あるんだろうか?」
「なんのために私は…」

 

そんなことを考えてモヤモヤする時間が、半年以上になり
「自分では解決できない…誰かに引き上げてほしい!」思い
専門学校からの友人でもある、えはらさき講師に、連絡をしました。

 

LMC協会に所属しながら
「私のライフミッションはこれ!」とか
「新たなビジョン、見えたー!」ってSNSで発信しているさき講師なら
私がモヤモヤから脱する突破口を見つけてくれそうだと思ったからです。

 

体験セッションの日。
さき講師のライフミッションストーリーや、LMCのフィロソフィーを聴かせてもらったり
「安心・安全・ポジティブな場だからね。なんでも吐き出してね。」
言ってもらい、たくさん泣きました。

私もさき講師みたいに
「これやらなきゃ死ねない」って熱い想いで働きたい!
と感じました。


さき講師のコンサルきっかけに、LMCのカードで、内面ホリホリ。

メンタリングカードでは、
母である自分がお金を稼ぐことへのブロックや、
不登校=子育ての失敗と捉えたために、自分責めしていたことに。

パートナーシップカードでは、
夫婦関係の間違った思い込みや、夫への過度な遠慮があることに、気付かされました。

自分で考えるだけでは、向き合いきれなかった問題点。
安心・安全・ポジティブで話を聴いてくれる講師や、カードのおかげで
自分の言葉で気付いて、解決に向けて、動けるようになりました。

 

私も、安心・安全・ポジティブな場を
内面ホリホリや、1Day講座で、広げていきたいです。

 

私のビジョンは

誰もが、自分の本音・希望を大切にしながら自由に学び、
尊重・応援し合える人で溢れる日本にすることです!

そのための私のライフミッションは

内面ホリホリによって、生まれ育った環境や、周りの人からの、刷り込まれた価値観ではなく、自分の本当の願いに気付き、それを叶えるために動ける人を増やす!です。

自分自身も、内面ホリホリと、ビジネスの学びを続け
親子のコミュニケーション、夫とのパートナーシップを、よりよいものにして
家族、仲間、お客様と、笑顔の輪を広げていきたいです。

 

私をおすすめする3つの理由

このようなお悩みはありませんか?

1Day講座を受けるとこうなります

この講師の講座を受講した方の声