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私が笑うことができなくなった理由

 

私は、2歳下の弟、8歳下の妹の3人姉弟の長女として産まれました。

 

小さいころから、母は「お姉ちゃんでしょ!」と口癖のように言い、私の言い分は聴いてくれない日が多くありました。

 

その中でも、一番嫌だった出来事は、

私がリビングでテレビを見ていると、妹が自分で机に頭をぶつけて1人で泣いてるのに、

母がすごい勢いでやってきて「あんたがしたんでしょ!」と

見てもないのに、決めつけて言ってきたことです。

 

「何もしてないよ!自分で頭をぶつけたんだよ」と言い終わらないうちに、

また「あんたがしたんでしょ!」と言葉をかぶせてきました。
そして妹は「お姉ちゃんがした」と嘘をつきました。母は、妹の嘘を信じて、私の話を一切聞いてくれませんでした。


この出来事から、私は自分の気持ちに蓋をするようになり、1番目に産まれたことを後悔するようになりました。

 

さらに、

それに拍車をかける出来事が日常にありました。それは、私の父です。

父は、気に入らないことがあると、イライラをため込み、その時に気に入らないことを言った人を殴る、蹴る等の暴力を奮う人でした。


私はそんな自分中心の父が大嫌いで、父へ文句を言い、自室へ逃げると、

鬼の形相で追いかけてきて、私の頬を手を振り下ろして殴り、その殴られた勢いで私はタンスにぶち当たって床に倒れました。

 

そして、

恐ろしい形相をした父は、私の髪の毛を掴み起こし、また殴ろうとしました。そこに、母が止めに入ってくれ、ことは収まりました。

 

また、別な日に父は、妹を蹴り続け、妹は意識を失いかけました。

父は動かなくなった妹をみて我に返り、妹に謝っていました。その声をお風呂場で聴いていた私は、泣きながら先にお風呂に入ったことを後悔し、守ってあげられなくてごめん、と一人泣いていたこともありました。

 

こんなことが日常茶飯事だったので、

 

無意識に相手の顔色をうかがってしか物が言えず、

笑うことができなくなっていました。

 

生きる意味を探し続けた結果、たどり着いたのは…

 

中学になると、怒鳴られる恐怖感から勉強を頑張りました。

でも、誉められることは1度もなく…成績が下がった時に、鬼の形相で怒鳴られるだけでした。

そして、「お金がない」としょっちゅう母から聞かされていたので、

やりたいことなど探すこともなく

高校は、親が望む商業高校へ入学し、

卒後は親の望む就職をしました。


就職しても、自己表現がうまくできず、人間関係で職を転々としていました。


就職しても、認められることはなく、

仕事を押し付けられたり、騙されたり、クビになったり、我慢の日々が続きました。

 

そして、

就職しても、帰りが遅いと父から怒鳴られる。

何のために生きているのか、意味がわからなくなり、自分を否定されることに疲れ切った私は…

 

「もう我慢することに疲れた。早く楽になりたい」

 

そう思い、自殺することにしました。

 

最期の場所を探しに車を走らせ、山にいきました。そして、ワイヤーも買いに行きました。
でも、その時母の苦しむ顔がパッと浮かんできて、踏みとどまり考えました。

「それでも生きなきゃいけないのかな…

こんな役立たずな価値のない私に何ができるんだろう…。」

 

そして、当時CMでよく流れていた「医療事務」の勉強をすることにしました。


資格は取れなかったけど、クリニックへ就職しました。

そこで、患者さんと看護師のやり取りを見て、私も誰かをあんな風に笑顔にしたい!

という、強い気持ちが芽生えました。


そこから、仕事を辞め、26歳で看護大学へ入学し、30歳で「看護師免許取得」しました。

 

卒業後は、1人暮らしをはじめ、大学病院へ就職しました。

しかし、朝礼中に気分が悪くなり座り込んだことをきっかけに、病棟師長から「精神科受診」を懇願され、うつ病と診断されました。

 

その後、知らない間に病棟内に知れ渡り、症状はますます悪化。

うつ病治療薬も増えていきました。

そして、結果的にクビとなり…退職。

その後も、転職しますが、

師長から「給料泥棒」などの暴言、同僚からの冷ややかな視線等あり、結果的に退職。

休職し、実家では父と折り合い悪いため、当時付き合っていた彼の住む鹿児島へ治療目的で移住しました。

それから、1年後軽快し、知人の紹介でリハビリ病棟へ再就職しました。

 

死と命の誕生を経験して気づいたこと

 

リハビリ病棟は楽しく働き、8年働きました。

その間、彼との結婚が決まり、長男を授かりました。

長男を妊娠中、健診で心拍が60に下がっていることがわかり、そのまま緊急入院しました。

その後、誘発分娩処置が行われました。

数日後、陣痛がきましたが、陣痛中も心拍下がること3回。

 

その度に、「嫌味を言われながらも守ってきた命、会いたい!死なないで!」と思いながら、

先生が私がいきむタイミングに合わせ、お腹を押してくれて無事出産。産声を聴いた瞬間、

小さな命の重さに感動し、

あの時、

死なないで生き続けてきて良かった、と心から思いました。

そして、3年後に娘を授かりました。

「今度は普通の出産がしたい」

そんな想いで臨んだ出産でした。

娘は、大きすぎてなかなか出てこず、長い出産時間となりましたが、

 

普通の出産ができ、

何事もなく出産できたこと、

命の誕生に関わってくれたすべての人に感謝しかありませんでした。

 

私の産後の状態は最悪でしたが、どうにか1年後職場復帰しました。

しかし、クビへ根回しされ、退職。

次は、訪問看護で働き始めますが、夜間呼び出しで子ども達が泣いてしまい、

「寂しい思いまでさせて、看護にこだわる必要はない」

そう気づき、退職。

 

ちょうど退職した時期に、義父がショック状態で命の危機を迫られました。


今は元気に暮らしていますが、その時は、意識戻らず、主人は「助けなくていい」選択をしました。


「人の命は突然終わりがくる、

後悔しない人生を生きていきたい、


子ども達ともっと一緒に過ごしたい!」

そう思いました。

 

 

LMC協会、そして本当の私との出会い

 

そして、息子から「ママはやりたいことないの?なんで?」と聞かれました。


その時に、やりたいことやっていいんだ、と気づき、そこから、偶然知ったSNSでの起業を知り、勉強を始めました。


そして、スクール3か所目でコーチングを知りました。


そのスクール内で募集していた無料モニターへ「起業の方向性に迷っていた」ので、申し込みをし、受けたのが「メンタリングカード」でした。
これが、私にとって、LMC協会との出会いになりました。

私は、

「安全・安心・ポジティブな場」の体験を通して、

本当の笑顔を取り戻し、

自分も家族も変わりました。

 

この場があったから、

私は「ありのままの自分」に出会い

小さいころから探していた私の居場所が見つかり、

本当の笑顔を取り戻すことができました。

 

「過去に辛かった私の経験が、誰かの役に立ち、それが誰かの笑顔につながる。

親に愛された記憶のない子ども時代を過ごし、人との関わりを避けて生きてきたことで、

自分の気持ちに蓋をしてしまい、

生きることを諦めようとしている人達を救いたい!

もっと笑顔の人を増やしたい!

 

そんな想いから、

私のライフミッションは、

「自分のやりたいことを我慢している人や、

居場所を探している人の笑顔・輝きを取り戻し、

自分らしく生き生きと

生きることが出来る人を

増やすこと」

 

「自分を愛し、

自分らしく生きることが

出来る人を増やすこと」です。

 

そして、私のヴィジョンは、

「『心が安定できる場所』で、

どんな立場の人も

自分の命を大切にし、

自分らしく生きることが

できる社会をつくること」です。

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