HOME  >   LMC認定講師一覧  >   和泉 直美

初めまして。
「仕事は楽しく!面白く!」をモットーに、2022年4月までは会社員として働きながら、今では個人事業主として自分の事業を構築しながら、ライフミッションサポーター®️もやっています。いずみです。

社会人になって23年のキャリアを持ち、社会人人生で6回の転職に成功。
仕事を通じて一定のスキル・成果を収めると、新天地を求めて次の会社へと移り新たなスキルを身につけるということを繰り返しながら、いろいろな業界・いろいろな職種・いろいろな働き方を経験してきました。
ひたすら仕事に打ち込んできた自分を否定することは決してないけれど、この先ずっと会社に属して会社の評価の下で働くという働き方に疑問を感じるように。

でも、どうすればいいのかわからなくて、そんな自分の状態に蓋をするようにひたすら仕事して、そして、時間はあっという間にどんどん過ぎていく。

そんな状況が続いてモヤモヤしていたときに、【ライフミッション=情熱の源泉】を掘り起こすことで、掴みどころのないふわっとしている自分の気持ちを見つめ直して、言葉にして、整理して、スッキリ!!
これから自分が進みたい人生の方向へ向けるようになりました。

かつての私と同じように、何となく気持ちがモヤッとしている人が、今の自分から変わりたい・変えたいけど、何をどうすればいいのかわからないと思う燻った心を晴らして、生き生きしている実感を持てる、そのお手伝いをしています。

そんな私が、これまで何に悩み、そのモヤモヤから抜け出して、どう変わったのか。
今に至るまでの私のストーリーを読んでいただけたら、嬉しいです。

「優等生」の自分が味わった挫折感

「優等生」・・・私の子供時代を一言で言うとこうだと思います。小中学校では、明るく元気で、勉強も運動もよくできました。先生の評価も高く、学級委員・部活動のキャプテン・児童会といった役目を常にこなし、無意識のうちに集団の中心に立っていたように思います。高校も県下No.1と言われる学校に進学しました。この頃の私は、自分にも周囲に対しても不安や恐れといったネガティブな感情は一切抱いていませんでした。

高校でも今までのような毎日を過ごすものだと、なんの根拠もなく(笑)信じていた自分でしたが、実際に高校生活が始まって、徐々にその雲行きが怪しくなっていきました。

高校はそれぞれの地域でトップクラスの子たちが試験に合格して集まってきます。
誰もが自分以上に頭もよく運動もでき、そして自信に満ち溢れている・・・劣等感に駆られていた私には、同級生のことがそう見えていました。

実際、頑張っても成績順位は上がらず、今までの「優等生」の自分からは考えられない、「落ちこぼれ」たことに戸惑う高校時代でした。

県下No.1と言われる学校でしたから、同級生が進学希望する大学は、東大・京大・早稲田・慶應がほとんど。
私は、その高校に通っているというわずかに残るプライドが捨てられず、周囲に合わせて有名大学を受験しました。
勉強のできない自分が受かるわけもなく、滑り止めのつもりの大学までも全て落ち、浪人生活に入りました。
幸い1年後には、いくつかの大学に合格することができました。
ですが、地元の大学に進む自分は浪人をしても挫折から逆転勝ちすることはできず、落ちこぼれた自分を無かったことにはできなかったのだと思いました。

大学は法学部でした。いつからか法曹界で活躍することを夢見るようになり、司法試験に打ち込む環境と時間を作るため、大学院へと進みました。
司法試験への挑戦は大学院での2年間だけと家族と約束しました。

しかし、2年間はあっという間に過ぎ、結局、司法試験を諦めて大学院を卒業しました。
今思えば、私は家族との約束を言い訳にして、いつゴールがくるともわからない、先行きが不透明な挑戦をし続けることから逃げたかったのだと思います。
自分は何も成し遂げられない意志の弱い人間のように感じられました。

成長を実感できる仕事に打ち込む社会人人生

大学院を卒業してからの私は百貨店の契約社員となり、新規オープンする美術館のミュージアムショップに勤めることにしました。
勉強以外ほとんどしておらず、就職活動もしていない自分がこのときできることといえば、学生時代に水族館のミュージアムショップで6年間アルバイトをしていたことだけでした。

オープン当初の賑わいに忙しさを感じつつも、卒なく業務をこなしていました。
しかし、オープンから月日が過ぎるにつれ、だんだんと客足が落ち、物静かな空間になっていきました。
もともと、アクティブな性格でもあるため「この静けさに息が詰まる!堪えられない!飛び出したい!」と、衝動的に営業の仕事へと転職をしました。
外に出る仕事=営業という単純な思いつきです。

ここでも期限付きの契約社員という立場ではありましたが、正社員と同じ仕事をし、そして挑戦するチャンスもある職場でした。
入社して初めての全社集会で、優秀営業マンを表彰する場面がありました。
そこで女性の方がMVPに選ばれていました。

そのとき、「あの人は契約社員だよ。」と教えられ、「女性で、しかも契約社員で表彰されるなんて、すごい!」と驚き、「いつか自分もあんな風になってみたい!」と思ったことを覚えています。

いざ働き始めてみたものの、最初はもちろん仕事らしい仕事は一切できません(笑)。
なんせ前職はアルバイトの延長のようなものでしたから。
名刺の渡し方もらい方・目標数字・飛び込み営業・セールストーク・見積・提案書・エクセル・パワーポイント・PDF・プレゼン・会議・出張・接待・部長やら所長やら社長やら偉い人、、、何もかもが初めてで、教えられることを夢中で吸収し素直に実践し続けました。

そして、自分の考えと行動が、実績数字や形になる楽しさを知りました。
どんどん昇給もしました。うまくいくことばかりでは決してありませんでしたが、その壁を乗り越えた時の充実感は快感でした。

こうして自分の成長を実感し続けるうちに、私は、ついに所属部署の東名阪の全営業マンの中で準MVPに選ばれました。本当に嬉しかったです。
何も知らない契約社員の自分に知識とスキルを授け、チャンスを与え、行動と成長を見守り指導してくれた、職場の先輩や上司が作っていてくれた環境があったからこその準MVP受賞でした。ここでの経験が自分の社会人の基礎を作ってくれたと、とても感謝しています。

やがて契約期間が終了し、私は東京で自分の力を試したいと思い、上京して転職しました。
全く違う業界に飛び込み、新規事業の立ち上げに携わりました。

その後も、新しい業界の会社に入り、これまでに培ったスキルを活用しつつ実績を収め、そして様々なことにチャレンジすることで新たなスキルを手に入れ、ある程度のスキルを得たうえで新天地を求めて次の会社へ転職するということを繰り返してきました。
新しい業界・新しい会社・新しい仕事を経験する度、自分のスキルが追加され磨かれていくのを感じることができ、仕事が楽しくて仕方がありませんでした。

こうしていくつもの会社を転職しながら働いてきました。
もちろん、ここと決めて一つの会社で勤め上げる・キャリアを積むという働き方もあります。それも選択肢の一つです。

おそらく、自分にはその働き方は向いていなかっただろうと思います。
そして、私は今、働き方の選択肢の一つとして、会社に縛られずに働く「起業」という形を選ぼうとしています。
何故その選択をしたいと思ったか、そこに至るまでの気持ちの変化をお話しします。

これからの「私」の人生を生きるための働き方とは

33歳で上京した私は、通算5社目の会社でとても充実した仕事時間を過ごしていました。
そこでは、温泉旅館やオーベルジュの再生事業に関わっていました。
簡単に言うと、人気のない宿泊施設の運営に手を入れて、利益の出る素敵な宿泊施設に生まれ変わらせる事業です。
宿泊施設は2つとして同じものはなく、施設によって実施する施策が違ってきます。
もちろん定石となるセオリーはありますが、マーケティングを通じて、その宿泊施設や地域に埋もれていた魅力を発見し、人を惹きつける形に整えて発信することで、そこに泊まりたいと思われる宿泊施設に変貌させて予約という効果を実感できる、それがとても面白い仕事でした。

名古屋を離れ、ほとんど帰省することなく東京で気ままに仕事に打ち込んでいましたが、人生の方向転換をせざるを得ない事態が起こりました。
父が重い病気になり、入院生活に入ったのです。ほぼ毎週末、名古屋にとんぼ返りをして父を見舞う日々が続きましたが、いよいよ危ないと言う医師からの話をきっかけに、父を失う母を離れたまま一人にはしたくないと思い、東京を引き払うことにしました。

元々、いつかは名古屋に帰ると思っていたので、この時の決断はちょっとタイミングが早くなっただけで、名古屋に生活拠点を戻すこと自体に躊躇は全くありませんでした。ただ、宿泊施設の運営再生の仕事が好きでしたので、会社を辞めるのがどうしても嫌でした。

どうすれば会社で働き続けられるか?・・・会社と交渉を続け、名古屋でのリモートワークという勤務形態を得ることができました。

でも、正社員から契約社員になり、給料は約半分になりました。
仕事の内容も、今まで自分がやっていたことの補佐的な役割が多くなりました。
それでも、離れたくない宿泊施設再生の仕事に携われていることで、頑張れました。

しかし、リモートワーク生活になって2年ほどした頃、会社の方針で、運営再生に関わるマーケティングの業務は東京に集中することになり、自分のリモートワーク体制はあっさりと終わりを迎えました。

名古屋に支社や事業所もないため、その会社の中で働く場所がなく退職するしかありません。

このとき、私は42歳でした。この年齢で女性の自分を拾ってくれる次の会社はあるだろうかと思いました。
幸い切れ目なく6社目のマーケティング会社を経て、7社目の今の会社に勤めることができています。
かつての転職と同じように、これまでの仕事で得たスキルを活用しながら、飲食業という今まで未経験の業界で仕事をこなしています。

現状からすると、正社員としての仕事があり、給料もあり、住む家もある。

この先、生きていくには特に不自由はないのかもしれません。
これまでの生き方を後悔している、間違っていたとも決して思いません。

ただ、これまでのような働き方をずっとしていけるだろうかという漠然とした不安感は付き纏うようになりました。
この会社で十数年後の定年を迎える自分を想像できないのです。健康なままならできるかもしれない。

でも、体を壊したら?父を亡くした母に何かあったら働きながら支えられるのか?
そもそも仕事がなくなったら?・・・
今の私に何があるだろうか?・・・

この歳になって今更ながら、そんな想いに気づきました。
いや、もしかしたらこれまでも自分の中にあったのかもしれません。
だからこそ、仕事に打ち込むことで、その不安な気持ちから目を逸らしていたのかもしれません。

あるとき、はっぴーぷらねっとのメルマガを目にしました。

女性が幸せに働くことを応援するという言葉に気持ちが惹きつけられました。

代表である叶理恵さんの想いや考え方が綴られていて、なんとなく読み続けているうちに、いつしかご本人とお会いしてみたいと思うようになっていました。

1年ほど経った頃、LMC協会主催のクリスマスパーティーが名古屋で開かれることを知りました。
理恵さんもその場にいらっしゃるということで、ご本人に会えるチャンスと思い参加申し込みをしました。
パーティー当日、その会場の雰囲気にとても驚きました。

なぜなら、そこにいる全員が明るく前向きでポジティブだったからです。

本当に全員、です(笑)。

ある程度の人数が集まれば、ポジティブな人ばかりでなくネガティブな人もいるものですが、その場には全くいなかったのです。
ちょっと引いてしまうくらい、その雰囲気に押されていました。

このパーティーへの参加をきっかけに、今の私の講師である寺本奈美江さんからのお声掛けがあり、カードセッションを受けるようになりました。
普段口にしない気持ちを話してしまう場が心地よく、自分のポジティブをチャージできる時間になりました。
ここで自分のライフミッションを掘り起こし深めることで、漠然とした不安を感じている今の自分を変えられるかもしれないと思いました。
カードセッションや講座を受けるにつれ、女性が幸せに働くということはどういうことか自分の言葉で理解し、そして自分が幸せに働く、そして生きるということに向き合うことができました。

会社員は、会社で働いて会社から給料をもらいます。
自分の働きに対して会社が判断し、その評価の高い低いが給料という形になっている。
確かに、現実はその通りです。ただそれは、あくまで「会社の中での自分」の価値であり、「自分自身、自分そのもの」の価値や評価ではないと思うのです。

なぜなら、私は何回もの転職で新たなスキルと経験を身につけながら、今の私があります。
それでも、今の私が会社から払われる給料は、初めて社会人としてもらった額からほんの少しだけ上回っている額です。
社会人になりたての頃よりも、社会人としての能力は高まっていると自信を持って言えるにもかかわらず、です。
会社員にとっては会社だけが自分の価値を判断する唯一の存在。
しかし、その会社のバイアスは避けられません。
私の心に付き纏う漠然とした不安は、自分を評価するただ1つの存在である会社で働くことを自分の拠り所としている、しっかりあるようで脆く心許ない関係性にあるのだと私は解釈しています。
その心許ない関係性から飛び出し、他ならぬ「自分自身」と確かに繋がる関係性の中で働きたくて、「起業」という選択肢を持つようになりました。

生きていく上で、働いて糧を得ることは欠かせません。

ただ、どんな想いでどんなふうに働くか?がキーポイントであり、その実現が自分が幸せに働く、そして生きることになると確信しています。

私のビジョンは、

人が明るく前向きな気持ちで生き生きと働き、自分で自分の人生を生きている実感を持てているのが当たり前の世の中になること。

私のライフミッションは、

たとえ年齢を重ねてからであっても今更と思わず、自分を幸せに生きたいと思う人を応援すること。

今いる場所・今の生き方が全てではないはずと思いながらもどうしたいのか、どうすればいいのか分からない人がいれば、そんな燻った気持ちを明るく晴らして生き生きできるようにお手伝いすること。
そして何より、自分自身がそうなって、私の持てる経験を私の価値として活かしながら、この先の人生を歩むことだと思っています。

そして、実際に私は会社員を辞め、個人事業主となりました。
「これからの自分の人生をどう生きるか」後悔のない選択で、築き続けます。

私をおすすめする3つの理由

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