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私は27歳のときに3年お付き合いした人と結婚しました。

結婚式の翌月に義母が体調を崩して入院。病名は「殻の巣症候群」と診断されました。
その時の義母の年齢は52歳。

義母は専業主婦で家族の為に生きていた人なので、息子の結婚は嬉しいけど、心にぽっかり穴が開いてしまった様です。
それと同時に更年期障害の症状で動悸がひどくなり、パニック障害になったこともきっかけになったのかもしれません。

私にはとても優しくお見舞いにいくと

「りえさん働いているんだから、わざわざ来なくても大丈夫よ。それよりも体を休めたり、実家に顔見せに帰ってあげて」

と、気遣ってくれる優しい義母で良い関係性でした。

出産後、人が変わってしまった義母


息子を出産して体調が戻った頃に夫と義母を見舞いに病院に行くと、出産する1ヶ月に前に会った時とは別人かと見違えるほど、人が変わった姿の義母がいました。
「終わっちゃった、死にたい」としか言わない義母。

私はショックで涙が止まりませんでした。

その時の義母は56歳。まるで生きることを諦めているように感じました。

その後、徐々に病状が悪化して「鬱病」と診断され、精神科に入退院を繰り返す日々が続きました。

息子は赤ちゃんの頃、義母に抱っこされたことはありません。

ある日、ベビーカーで病院に行くと、何も言わずに息子を睨みつけている義母を、目に涙をいっぱいに溜めても泣かずに我慢して、じっと義母を見ている息子の姿を見てとても切なくなりました。

義母にとっては孫(初孫)なのに、何故そのような態度をとったのか?病気がそうさせているのか?今でも思い出すと心が痛い出来事です。

32歳で介護


義父は「義母が病気になったのは、お前達のせい(結婚したから)だから、面倒をみろ」と事あるごとに言ってきました。

夫は自分で受け止めることが出来ずに全て私に委ねてきたので、義父と私の間にもどんどん距離ができてしまい、会話するのも苦痛になっていました。

夫は仕事第一、家庭は奥さんに任せるタイプ。
ある日夫から「おふくろの介護をあなたにしてもらいたいと親父は思っている」と私に任せました。

色んな思いがありましたが、夫を愛していましたし、夫の大事な親は私にとっても大切な存在なので、私は子育てしながら出来ることは率先してやりました。

人並みよりも良い生活を送れていましたが、義母の介護、育児、家事の日々で心が埋もれてしまいそうになり、息子が3歳になった時に夫に「働きたい」と申し出て、家庭に支障のない範囲のパートで営業事務として働くようになりました。

4年振りの社会復帰はとても新鮮で、一番に感じたことは、「私は仕事が好き!」と強く思いました。仕事している時が唯一自分の時間で、私個人として接してくれる場でした。

仕事を始めてからも、休日には義母の介護を続けていましたが、鬱病がひどくなり長期入院できる施設に入ることに。62歳でした。
私はどうすることもできず、義母の気持ちを考えるとやりきれない気持ちになりました。

その頃、心臓が悪く治療のために入院していた私の父が、脳梗塞を起こし病院に駆けつけると、半身に痺れがありろれつが回らない状態の中、担当医の手を握って「先生、助けてください。助けてください。」と泣きながら何度も訴えていて、「一緒に頑張っていきましょう。」と励まし尽力してくださいました。
最後まで生きることを諦めなかった父の強さを感じました。

一方で義母は生きることを諦めて、62歳から他界する74歳まで東京郊外の山奥にある施設にいました。

義母は、何が幸せだったのだろう?夫や子供の幸せのコップを満たす人生。

もし、自分の幸せのコップを満たすことが出来ていたら、果たして同じ人生だったのか?

少なからず自分の意思で家族の幸せを満たすコップを選んでいたら、違っていたのではないか?

同じ女性として、義母の想い・人生はとても哀しいと思いました。

やり甲斐のある仕事

義母が入院した後も夫との関係は悪くなる一方で、夫が浮気をしたことをきっかけに、離婚する決意をしました。
同じ時期にパート先で社員登用となり新たな気持ちで仕事にも取り組みました。

数年後、離婚してシングルマザーとなった頃に、会社が化粧品業界に新規参入する事が決まり、営業事務から転属して、商品企画・開発、生産管理、PR、法人営業と化粧品に関わることは全て携わっていました。

社内ベンチャー的な立ち位置だったので、パラレルで仕事をこなさないと追いつかないため、残業は当たり前でしたが、もともと化粧品に興味があったので「やりたい事ができる!」と、やる気に満ちていました。

仕事に活かしたいと思い、自己啓発で7つの美容に関する資格を取得できたことも自信に繋がり、化粧品に関することの知識は社内で一番になりました。

失望感・・・自分の気持ちに蓋をして過ごす日々


私が勤めていた会社は、女性社員に対しての評価が低く、一番古株の女性社員の役職が課長で産休を取って復帰した女性社員は数人。
営業事務以外、残業手当はなく毎日サービス残業。有休も家庭の事情で休む以外は、進んで取得ができない雰囲気。

給与面でも男女の格差があり、男性社員の方が昇進も早く昇給ベースも高かったので、誰かが声を上げなければ変わらないと思い、自己申告書に「女性が働きやすい環境、女性社員の地位の向上と給与面を見直して欲しい」と書いて提出したところ、後日上司から「社長が会社批判だと言っていた。」と伝えられ、私の評価は下がりました。

私は「安心して仕事がしたい」と伝えましたが、その場を取り繕う言葉だけで、何も変わりません・・・それでも「好きな化粧品の仕事ができているのだから」と気持ちを奮い立たせ仕事に邁進しました。

化粧品を取り扱う企業に必要な資格を、将来的には私にも取得して欲しいと生産管理も任され、国内生産工場の立会いや、入荷時には物流検品、薬事に関わる事を営業の傍ら行っていました。

行政の監査立会いが近くなったある日、上司から「営業をやっていると資格は取れないから、監査の立会いに来ても無駄だよ。」と言われました。急に何故?と食い下がりましたが、取り合ってはくれませんでした。
保身の為に出る杭を打ったんです。

当然、その上の役員にも直談判しましたが、上司は監査の日程を変更していて結果、立会う事は出来ませんでした。

その出来事があってから、仕事に対しての情熱も冷めていき、会社に対しても働いている人に対しても不信感で、誰を信用していいのか分からなくなりました。
気持ちが埋もれていき、精神的にも疲れて私の居場所はここではないと。

本来の自分を隠して仕事して、無理をしているから。限界でした。

50歳になった時、このままでいいの?将来が不安に

私は生涯現役で働きたいと思っています。

今の世の中だと65歳で定年後、働きたくても限られた職種で自分が働きたい企業に再就職することは難しい世の中です。

50歳になった時に、急に定年が現実的に思えて将来が不安になりました。

漠然と「起業したい」と思っていましたが、具体的に何がしたいのか明確ではありません。
このままでいいの?と自分に問いかける日々。

LMC協会との出会い

そんなモヤモヤが2年間続いたある日、「幸せ女性起業塾」を知り代表の叶理恵さんのブログを拝見して、メルマガ登録しました。

その内容はとても衝撃的で、私が思っていたこと、やりたかったこと。

でも勇気がなくて一歩が踏み出せない自分に問いかけているように感じられて、10年後後悔したくない、自分の人生は自分で決められる!とワクワクしました。

生活の為に働くのも大事ですが、自分の気持ちに蓋をせずに自分の幸せのコップを満たして本当の意味での幸せをみつけて輝きたい!と思いました。

「どうせ年だから、この年からやっても・・・」と諦めないで、後に続く世代の人達の為にも

『年齢を重ねても不安にならずに、自分らしく安心して輝ける生き方をする人を増やすこと』

が私のライフミッションです。

義母の様な人が、自分のために生きることの楽しさや喜びを知ってもらいたい、
そして、自分の足でその楽しさを実感しながら人生を歩んでいくお手伝いをしたいです。

あなたがもし私と同じような悩みを抱えていたら、

まずご自身が何をしたのか?を心に問いかけてみてください。

ぼんやりとでもいいんです。

それを具体的にしたいと思われる方は、是非私にお手伝いさせてください。

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