HOME  >   LMC認定講師一覧  >   えはら さき

 結婚・妊娠・出産と理想通りの生活を送り、今では三姉妹のお母さんです。

仕事をすると一生懸命になってしまう性格なので、
子どもたちが小さいうちは一緒になって思いっきり遊んで過ごそう!
そんな想いで家事と子育てを優先して生きてきました。

主人は仕事が忙しくて、早朝から深夜まで仕事三昧。
結婚当初から家に居ないのが当たり前。
基本的に子どもが大好きなので、ワンオペ育児も気にならず、三姉妹育児は楽しくやっていたつもりでした。

典型的ないい子ちゃんの長女に対して、次女は真逆の性格です。
次女が幼稚園に入園した頃から、かなりの勢いで自我が強くなっていき、二転三転する発言の対応に困り果てた私の身体には、育児ストレスが蓄積していきました。

毎日のようにママ友に「次女を殺してしまうかもしれない」と言うほど、次女のことが一番嫌いでした・・・

 

 そんなある日、幼稚園から帰って来た次女が発熱。

小児科で受付をしている最中に立ったまま気を失い、口から泡を吐きながら倒れ込みました。
先生が駆け付けた時には次女の心臓は止まっていて・・・
心臓マッサージと酸素ボンベの力を借りて、なんとか心臓が動き出しホッとしたのも束の間。
いきなり右半身だけ大きな痙攣がはじまり、市民病院へと運ばれました。

あんなに嫌いだった次女の笑顔がもう見られなくなるのかもしれない・・・
あのかわいい声で「ママ~」って呼んでもらえなくなるのかもしれない・・・

救急外来の片隅で沢山の管に繋がれた次女を見て、色々な感情が溢れてきました。

命には期限があるということ。後悔のない人生にしたい。
自分がやりたいことって何だろう・・・

心停止してから意識が戻ったのは8時間後でした。

次女が命懸けで私に教えてくれた事を無駄にする訳にはいかない!と思い、すっかり忘れかけていた私の中にある行動力に火が付きました。

 

 

 幼稚園で原因不明の嘔吐が流行っていたり、エアコンが付いていないことから、次女は熱中症だったんじゃないか?という疑問がうまれ、私は園長先生に、どうやったらエアコンを設置してもらえるのか?質問だけでなく色々な提案もしてみましたが、全て却下されました。

一人では解決できないと判断し、市役所や保健所、繋がりのあった多くの先生方や市議会議員さんに相談し、子どもの命を守っていく事に必死で、3日間がむしゃらに行動し続けました。

が、この先がよくなるとは思えない環境で、無駄なエネルギーを使っている自分が馬鹿らしくなり

【すべては自分がどうしたいのか?】

ただそれだけなんだ、という結論に至ったのです。

幼稚園を信用できなくなった私は、お金を払ってまで子どもを預けたいとは思えなくなり、転園することを決意しました。
今までは幼稚園のママ友たちと、どうにもならない現状に対する不満を言い合うだけの毎日で、夢中になれる物事もありませんでした。
しかし、転園という今までの自分には無い選択をしたことで、私の人生は大きく変わり始めました!

 

 

 個性心理學、自然育児学校、スキンシップたいむに出会い、学んだ事を素直に実践したことで自然と育児ストレスが緩和されていきました。
あんなに嫌いだった次女が1番かわいいと思えるようになり、心から子育てを楽しめるようになりました。
この感動を沢山の人たちに伝えたいと思い、それぞれの講師資格を取得しました。
子育てに必死で学ぶことの楽しさを忘れていた私は、今まで我慢していた気持ちが一気に溢れ出し、アロマやスピリチュアルについて学び始めました。
すると、自分に必要な学びや出会いが必要なタイミングでやってきていたことに気付きました。


今まで経験してきた事が活かされる場面もあり、人生に無駄な事なんて無い!と思えるようになりました。
【子どもの為に】という考え方を手放して、自分の為に行動していく事で、素敵なご縁がどんどん繋がっていき、自分の人生が本当に面白くなりました!

子育てで困っている人たちをサポートしたい!と考えるようになった頃、LMC協会と出会い、認定講師養成講座の受講を決意しました。

 同期の何気ない一言で、私は今まで誰にも頼る事ができずに苦しんでいたんだ、という事に気付かされました。
この感情の根本はどこにあるのか?講座を通して自分の過去を振り返るなかで、すべてを無かった事にしていた辛く悲しい過去の古傷を見つけたのです。

 

 

 

 自衛官の父と専業主婦の母、2歳差で兄と弟がいる家庭環境で、私はのびのびと育ててもらいました。

高校生活を楽しんでいた私は、自分の気持ちに関係なく周りにはやし立てられて、好きでもない人と無理やり付き合う事になりました。
他校で二つ年上の彼でした。
この交際をきっかけに、今まで優等生だった私は大きく崩れていきました

事件が起きたのは高校卒業を目前に控えた頃でした。
私は望まない妊娠をしてしまったのです。

家族で恋愛話なんてしたことがない家だったので、母に相談する事も出来ず、どうしたらいいのかわかりませんでした。
彼に話しても「そんなはずはない」と相手にされず、一人孤独に悩み続けていました。

すると生理用品が減っていない事に気付いた母から「あなた、もしかして妊娠してるんじゃないの?」と言われた時に、目の前が真っ白になり気を失いかけた事を今でも覚えています。

その時にどんな言葉を掛けられたのかは覚えていませんが、落胆した母の顔が印象的でした。

当たり前ですが中絶する流れとなり、心に深い悲しみと大きな傷を負った私は、親の監視から逃れる為に【親を頼る】という選択肢を消したのです。

心が満たされず、生きている価値や意味さえも見失い、死んでしまいたいとさえ思っていました。

情緒不安定で彼に依存していた私は、何の成長もないまま復縁と別れ、妊娠と中絶を繰り返し、とても狭い世界で必死に生きていました。

結婚を意識するようになった頃、再び妊娠をしました。

驚きや焦りよりも「これで彼と結婚できる」という喜びの方が大きかった私の想いもむなしく、厳格な父は結婚を許してくれませんでした。

この時の妊娠は二人で喜んでいただけに、中絶するという決断が本当に苦しかった・・・

命を粗末に扱ってしまった事、
何度も自分の身体を傷付けてしまった事、

自分を責める毎日に、彼との連絡を全て断つよう厳しく指導された事も重なり、私はのようになっていきました。

しばらくして、再び彼から連絡が来るようになりました。
あんなに辛い思いをして反省していたはずの私は、また何の成長もないまま密会を始めたのです。

ここから私は性的な虐待を受け始めました。

彼の性欲を無理やり処理するだけの道具。

日に日にエスカレートしていく行為、頭や身体を押さえ付けられ、首を絞められる。

このまま彼に殺されてしまうのではないか?と恐怖を感じるようになり、やっと目が覚めました。

携帯を解約し彼からの連絡を遮断すると、彼はストーカーになり、歪んだ愛情の恐ろしさに毎日怯えながらの生活でした。

心身ともにボロボロになった私は、この出来事を二度と思い出すことが無いように、心にガッチリと鍵を掛け、すべてを無かった事にしたのでした。

 

 こんな傷だらけの私を救ってくれたのは今の主人でした。

世間的には良しとされない経験をしてきた事実を話すと「何も気にすることはないよ」と、すべてを受け入れ、大きな愛で私を包み込んでくれました。
しかし、男性に対する恐怖心を身体は覚えていて、頭を触られるだけで無意識に涙が流れてくることもありました。その都度、主人は無言で私にやさしく寄り添い、時間をかけて心と身体の傷を癒してくれました。

私にとって主人は初めて感じる安心で安全な場所でした。

6年間の交際を経て結婚し、子どもたちが生まれたことで、両親との確執も無くなっていきました。

 

 妊娠・中絶の低年齢化が問題になっていて、ニュースで見る度に経験者としての想いが込み上げてきても、誰にも話せない状況で心がザワついていました。

講座の中で、何の知識もない高校生の私は「これが普通なんだよ」と間違った性の知識を刷り込まれ、最初から性暴力を受けていた事に気付き「誰にも相談できなかった事が一番辛かったんだ!」と、自分の口から話せたことで、苦しかった過去が癒されていくのを感じました。

自分の想いを口にすることで、人生が変わっていくのを体感したのです!

私と同じ様に誰にも言えない想いを溜め込み続け、モヤモヤとした心の傷を負っている人たちに、安心・安全・ポジティブな吐き出しの場を用意する事が私の使命だと感じました。

 

そして、妊娠、中絶、次女の命と向き合った事から、生きていく為に必要な《命を繋ぐという事の大切さと性教育》について、もっと、オープンに語れる場所作りも使命のひとつだと考えています。

 

 私のビジョンは【自分の強みを発揮する事で、笑顔と幸せの連鎖が生まれる世界】です。

現在は個性心理學、カードコーチング、アロマやオラクルカードリーディングなど、私が持っている強みを存分に発揮して【自分の人生を夢中で生きられる人を増やすこと】をライフミッションとして活動しています。

 誰かを頼ることで自分の人生が豊かになっていくことを体感している最中です。過去の自分を認めて愛してあげることで、自分の人生が大きく変わっていくという事を、これからも証明し続けていきます。ボロボロだった私が堂々と生きていくことで、誰かの勇気に繋がりますように・・・

 

 

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