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自分を満たして、ありのままの自分を好きになり、
だれに遠慮することなくI WANTが言える人を増やす
 
私は京都の老舗のパン屋に生まれ育ちました。
自営業ですので常に両親と妹がいて、さらに従業員のお兄さんやお姉さん、パートのおばちゃんがいつもいたので、寂しいとは無縁の毎日でした。はたからみたら何不自由なく過ごしてきた方だと思います。

そんな私ですが、私には生まれた時から、右ひざにあざがありました。
正確には血管腫です。生まれてそれが分かった時から、母は泣いて暮らしたそうです。
血管腫は今でこそ色は薄くなりましたが、赤く目立つので、両親は私がいじめられるのではないかとかなり心配したそうです。
だからいじめられないようにと自分の意見やイエス・ノーがはっきり言える子に育てたと言っていました。

幼少期はあまり感じませんでしたが、小学校にはいるとあざを見て「気持ち悪い」と言われたりするようになりました。
1年生のころは、勉強も遅れがち、給食も掃除中に教室の一番後ろで残って食べている子どもでした。
運動も得意ではなく、本を読むのが好きな引っ込み思案でおとなしい子でした。

それを心配した両親がそろばんや水泳やあれやこれや習わせてくれました。
私は長女で言われたことをするのが当たり前と思っていたので、特に嫌だと思うことなく言われたことをやっていました。
そのおかげか3年生くらいになると、いつのまにか勉強ができる子になっていました。

そして、その頃から目が悪くなりメガネをかけるようになりました。
当時メガネといえばアラレちゃんでしたが、メガネ=ガリ勉とマジメいうイメージでいい子キャラが定着していきました。
実際、勉強ができることにより、自分がいつも正しいと思っていて、先生に言いつけたりする子だったので、いい子ぶりっこと言われたりしました。
勉強ができる=わたしはえらいと思い込んでいました。

そんなタイプだったので5年生くらいから女子グループのリーダー格の子に嫌われはじめました。
生徒会の副会長をやったり、成績は相変わらずよかったので、いじめというほどのことはなかったですが、陰口を言われたり、仲間はずれはやっぱり嫌でした。
足のあざもなんでもないふりはしていましたが、コンプレックスでした。
言い出せなかったのは両親が悲しい想いをするだろう・・・と無意識に思っていたのだと思います。

その頃からより自分の方が優位に立ちたいと思うようになっていきました。
人とくらべて白黒はっきり、優劣をつけることで、自分を正当化したかったのだと思います。

その当時、中学が荒れている時代で、私は両親に言われるがまま中学受験をしました。
運よく合格したので私立の女子校に進学しました。
もしここで受験に失敗して、そのまま公立中学に通っていたら、今とは全然違う人生になっていたと思います。

中学は今までとは全く環境が違いました。
優劣をつけるのがくせになっていた私にとって、そこは私より勉強ができる人が多く、自分が優位ではないのが一目瞭然で、それが逆にほっとしたというか、いい子ぶりっこじゃなくてよくなったのがすごくラクでした。

その反面、私立の学校ということで、基本的に裕福な家庭がほとんどで、それをうらやましく思い結局、くらべて優劣をつけている自分がいました。

とにかく、仲の良いお友達ができ、小学校時代はうまくなじめなかった女子グループの一員になれたことがうれしかったです。
メガネをかけていたことで、やっぱりマジメ・・・というイメージはあったと思いますが、素の私を受け入れてもらえたことがなによりうれしかったのです。
全体に変なグループ派閥はもちろん、いじめや仲間外れもなく、居心地のよい学校でした。

中高一貫校だったので高校もそのまま持ち上がりました。
高校になると華やかなグループ、目立つグループができ、そこには勝手にコンプレックスというか、引け目というかなじめない自分がいました。
メガネをコンタクトに変えたので、見た目の印象は変わりましたが、流行りのファッションやブランドに疎かったので、自分に自信がありませんでした。
うちの母親はいいものが好きでしたが、当時はやりのいわゆるDCブランドを買ってくれなかったことがすごく嫌でした。
華やかな友達をみるたびに、コンプレックスを感じていました。

大学もそのままエスカレーターで進学しました。
大きな転機はここだったのかもしれません。
完全に大学デビュー組で、おしゃれを楽しみ、見た目も性格も華やかになっていきました。

大きな要因は、ものすごくモテたのです。
小学校以来、女子ばかりで全く男子のいる学校生活を送ってこなかった私には衝撃でした。
が、それは大きな自信になったことは間違いありません。
くわえてなんとなく応募したミス京都の決勝に残ることができたのです。
足にあざがあり、見た目もずっとマジメ、暗そうとコンプレックスのかたまりだった私にとっては信じられない現実でした。
今、思うとよく応募したなぁと思います。

これを機にさらに自分に自信を持つことができました。
人に合わすことも得意になり、八方美人を遺憾なく発揮していました。

一見自己肯定感も高くなり自信がついたように見えましたが、それでもまだ人とくらべる自分がいました。
綺麗な友達をみるたびに、「あの程度でよく応募したなぁ」と思われるのがいやで、それすらも私の恥ずかしい黒歴史になりました。
今思うととことん自己肯定感が低かったのです。

そして大学1回生の時に今の夫と出会いました。
私が25歳の時に結婚し、夫の地元である愛知県に引っ越しました。
知り合いも友達もいない土地でしたが、お姑さんをはじめ、夫の家族にはよくしてもらいました。
月のうち1週間は京都の実家に帰っていましたし、京都の友達と会ったり、ほとんど独身のように好きにさせてもらっていました。

子供にも恵まれ、これといった不満もなく過ごしていました。
息子が5歳になる前にレーシングカートというモータースポーツをはじめました。
週末は家族そろってサーキットに出かける生活になりました。
家族で取り組めるレーシングカートは楽しかったです。

下の娘がこども園に入ってから、短期でバイトに行くようになり、そのままパートをはじめました。
短時間ではありましたがパートにいって、子どもの習い事の送迎、家事をする生活はそれなりに充実していました。
夫は家のことを全くしない人でしたが、だからといって口をはさむことや文句を言ったりということもしない人でした。

レーシングカートは楽しかったのですが、とにかくお金がものすごくかかるスポーツで、貯金は全て使い、子どもの学資保険も解約、現金はほぼ使い切りました。

私のパートも空いた時間に働きに行くというスタンスから、不足を埋める生活のための仕事になりました。
お金のない生活は、私を不機嫌にしました。
仕事もして、子どもの面倒もみて、家のことも全部やっているのに夫は何もやってくれない・・・そんな思いでいっぱいでした。

その頃は私が家計をみていて、毎月の支払いに追われ、支払いが足りなければ、とりあえず持っているブランドバッグはほとんど手放してお金にかえました。

足りないと夫にいっても「言われてもない」という返事だったからです。
とうとう婚約指輪まで売り払いました。
そんな状態なので、夫とは会話もなくなり、家庭の状態は最悪でした。

それでも息子のカートはやめられませんでした。
カードローンもありましたが、お金のない状態に慣れすぎていました。
私は仕事もかけもちしたりしていましたが、しょせん扶養内ですので稼ぎはしれています。
物理的に時間給の仕事を増やすことは無理だと思っていたので、家にいてできる仕事、決まった時間ではなくできる仕事を探しました。
カメラ転売を学んだり、ネットワークの化粧品も誘われるままにやりました。
夫に何も説明もせず好き勝手にやっていました。
出歩くことも増えました。

夫からはあやしいことをやっていると思われていたようで、とうとう「離婚する。出ていけ」と言われました。
不遜にも私は出て行ってもいいと思っていました。

が、娘はまだ中学生。娘が成人するまでは・・・とその時は思いとどまりました。

家計を夫がみるようになり、私は毎月の支払から解放されました。
すごくラクになりました。

夫は現実にどれくらいお金がかかっているのかを知ったことで、変わってきたように思います。
そして息子の大学進学を機にカートをやめました。
相変わらず夫婦仲は悪く、会話もあいさつすらしない毎日でした。

その頃、私は学研の先生をやっていたので、指導のために自己肯定感をあげることを学んでいました。
子どもたちのできないばかりをみる保護者の方のネガティブな思考は子どもの成長に大きく影響するので、なんとかしたかったのです。

それらを学ぶ中、Facebookで知った奥田珠紀さんの魔法の教室が大きく私を変えました。

どんな自分も責めない、自分を大切にするということを学ぶ中で、
私は自分を否定し続けていたことに気づきました。

できない自分はだめ、やれない自分はダメ・・・と。

生徒のお母さんたちの中にみたネガティブな思考は私の中にあったのです。
そこから自分で自分を満たすことをやり続けることで、私は変わっていきました。
できない自分を受け入れることでものすごくラクになりました。

そしてどんどん夫との関係はよくなっていきました。
自分が満たされることによって、相手に優しくできるようになっていたのです。
そして夫に対する感謝があふれてきたのです。
はじめは恥ずかしくてなかなか言い出せませんでしたが、小さなことでも「ありがとう」を言いました。
言い続けることで無視していた夫も日に日に優しくなっていきました。

「おはよう」とあいさつできるうれしさ。
今日あったことを伝えることができる相手がいる喜び。

あれだけ何もしてくれないと思っていたのに、それまでがウソのようにお願いしたことを叶えてくれるようになりました。
休みの日は一緒にモーニングに言ったり、ランチに言ったり。
行きたいといった神社や日帰り温泉も付き合ってくれます。
そればかりか家のこともお願いしなくても気づいたことをやってくれるようになりました。
私のまわりにはないと思っていた幸せが、実はいっぱいあったのです。
与えてもらっていたのに不平不満でまったく見えていなかったし、受け取ろうとしていなかったのです。

魔法の教室を学んでから、自分が変わりました。
自分が変わるとパートナーシップが変わることを体験しました。
自己肯定感の低かった私。
ずっとコンプレックスがあり優劣をつけることでしか、自分の価値が見いだせなかった私。
あるものに気付かず不満ばかりだった私。

そんな私が自分を満たすことによってありのままの自分を好きになり、感謝であふれる日々を過ごせるようになったのです。

そして魔法の教室で知り合った方からのご縁でLMCに出会いました。
LMCではより具体的に自分の幸せのコップを満たすことを学びました。
そこで自分の好きと嫌いを知り、自分の好きなものが言えるようになり、何をがんばれば自分が幸せになるのかに向き合うことができました。
その中で自分の強みを知る機会を与えてくださり、それを分かち合い共有しあうことでまわりも幸せになることを学びました。


その学び、経験から気づいた私のライフミッションは

「自分を満たして、ありのままの自分を好きになり、だれに遠慮することなくI WANTが言える人を増やす」

ビジョンは

「全ての人が自分の強みを発揮し、わかちあい、よろこびや幸せを共有しあえる社会を創る」です。

私のように自己価値が低く、自分に自信がない人に、「私には価値がある。もっと幸せになっていい」と思ってもらえるように、LMCを多くの人に届けたいと思いました。

そしてそれは特に子育て中のお母さん達に伝えたいと強く思いました。
お母さんの幸せが子どもたちの幸せです。
子どもたちの自己肯定感を上げるためにも、お母さんのあり方に一緒に寄り添える活動をしていきたいと思います。

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