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過去の日常

私の名前は「お姉ちゃん」でした。
家族に名前で呼ばれた記憶がありません。

小さい頃から祖母・父・母の私への言葉は、「つまらん子」「可愛げのない子」でした。
祖母は支配的な人で自分の思う通りの行動をすることを強要しました。
母も同様な扱いを受けており、私は身代わりだった為、助けられることなく無視されていました。

こんな人が自分の両親のはずがない。

何処かに本当の親がいて、助け出してくれると本気で信じていました。

その希望は大学受験後、手続きの為取った戸籍に両親の名を見た時消えました。
失望でその場に座り込みそうでした。
希望という感覚がぽっかりとぬけ落ちていました。

学生時代も大人になっても、人から嫌われている、邪魔なんじゃないか?と疑い、
本音を言えない私は、自分軸のない存在感のない人間。
どうして私は皆みたいになれないのか?孤独なのか?答えを探し続けていました。

心理学の本を読み漁り人生を良くしたいと必死でした。
1人で良いから私の事が必要だと言ってくれる人に出会いたい!
ずっと探していました。

話を聞いてくれる友達に出会うと、
この人ならもしかして!と期待してしまう私は、
人との距離感が分からない状態でした。

そして子供の頃に寄り添ってくれる人がいたら
人生全然変わったのではないか?孤独を感じている子供に寄り添えないかと思うようになり、
相談員を目指す事を考えました。

実習では、児童養護施設を選択し、
1か月間泊まり込みで子供達と過ごしたのです。

担当は中高の男子。一番難しい年頃、
しかも、家庭環境の問題を抱え、大人の感情や表情にとても敏感、本質をすぐに見抜く子供達でした。

子供らしい所や変に大人な所、
健気に強くあろうとする姿も良く理解できました。

私は関っていく内に子供達を大好きになりました。
沢山話がしたいと願いました。
でも、人に心を開いて本音を言えない私の事を、子供達は直ぐに見抜き、
受け入れてもらう事はできませんでした。

関わり方を知らない私は
上手く彼らの中に入っていく事ができなかったのです。

心を開いて人に関われない事が本当に悲しくて、
皆の事が大好きだと言えない自分が情けなくて、
どうして私は人と本音で話せないのだろう?
そう考え続けましたが答えは見つかりませんでした。

 

事件・変化・試練・葛藤

その後、結婚して新しい生活が始まり
やっと自分にも居場所ができると思いました。

しかし、実際は不安で孤独な生活が、形を変え繰り返す事になります。

結婚後、間もなく妊娠し、仕事はできなくなりました。
夫は正社員で働いていましたが、給料は経験年数に対し少なく、生活していくには不十分でした。

仕事はしている、後は知らない。という夫に相談しても話を変えてしまう。
冠婚葬祭などの度にお金を要求され、独身時代の貯蓄は全て生活費に消えました。

娘が保育園になると直ぐ働き始め、安心とは程遠い状態。
仕事、家事、子育てを1人で背負い、
とうとうパニック発作を起こして動けなくなりましたが、仕事を辞める事はできません。
心療内科に通い、心身の不調には薬を放り込んで無視し働きました。

動けなくなっては仕事を辞め、また働くその繰り返しが10年ほど続きました。


LMCとの出会い

そんな生活の中、心は死んだように何も感じずいつも重く沈んだ状態でした。

そんな時、LMCにめぐり合い、
ライフミッションやビジョンという言葉に強く惹かれ、

ここに何かあるかも知れない。
そんな希望を感じました。

説明会で50歳を過ぎているからと言う私に、
人生はいつからでも変えられる。
これから変わっていく事ができます。
と言われた言葉は涙が出るほど嬉しかったのです。


新たな事件

トゥインクルでは、自分と向き合う事をこれでもかという程やりました。
辛くて泣きながらそれでも必死に自分と向き合い続けました。
安心・安全・ポジティブなこの場で、仲間と応援し合いながら、少しずつ自分の心の中を掘り返し、
痛みも汚さも見つめていく勇気を持てるようになったと思います。

自分の気持ちに気づいてしまうと夫との関係も違和感を感じます。

夫は定年退職後仕事に出ましたがバイト程度で僅かな収入。
大学生の娘を持つ父親として真剣に家族の事を考えている様には見えませんでした。
今まで通り私が何とかするだろうと考えている様に感じました。

このままでは何の為に生きているのか?そう思った私は勇気が必要でしたが、
トゥインクルの仲間に励ましてもらい家には戻れない覚悟で出ていく事を決断しました。

ウイークリーマンションを契約し荷物もまとめました。
結果出ていく事はしなかったのですが、
20年本音を話したことがない夫に向き合い、話し合いを行いました。

今までの収入や生活全般に対する責任の事、
体調を崩しても働かざるを得なかったこと、
泣きながら自分の言葉で本音を伝えることができました。

夫は気が付かなかったことを謝り、
家族なのだから一緒にやっていこうと言ってくれました。

 

ミッションの気付き

私の人生は、幼少期からLMCに出会うまで、
自分さえ我慢すれば良いと心の中は砂漠のように干上がった状態でした。

LMCで学び、感情や気持ちを押し殺してきた自分に向き合い、
本音を自分の言葉で伝えることができた時、初めて、
砂漠のオアシスのように私の中に希望や力が湧いて来たのを感じることができたのです。

そんな私ですが、子供の頃、
本気で魔法使いになりたかったのです。

自由に飛び回り楽しいことを一杯やり、
皆がびっくりするようないたずらを仕掛けて皆で大笑いする。
そんな明るく楽しい世界を夢見ていたことがあるのです。

そのことを思い出していました。

やっとLMCフロソフィーの心の平安を得て自分の気持ちに気づき、
自分の選択と感情に責任を持つという段階を歩き始める事できました。

私はトィンクルに参加できたことで
心の平安さえない状況から、自分で選択し行動しようという段階まで進んできていると感じています。

自分の心に向き合う事はある意味とても過酷です。

でも、これができると、
自分で驚くほど感じ方や行動が変わります。

今私は自分に嘘をつくことなく、
自分らしく生きる人生を選び進み続けたいと願っています。

私のライフミッションは、
自分らしさを発揮し、本来の力を最大限発揮しながら
おもいっきり生きる人を1人でも多く増やす。

ことです。

私をおすすめする3つの理由

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