HOME  >   LMC認定講師一覧  >   くろいわ 慶圭

私は小学校のころから友達が困っているとどうにか力になりたいと思う子供でした。

勉強がおもうように進まない友達に、算数の宿題の考え方と解き方をFAXしたり、いじめられているクラスメイトがいると、大きな声で「こんな幼稚なことする人いるんだ~」とわざと言い、一人ぼっちの友達と一緒にいるような子供でした。

正義感の強い私は、

「先生になりたい!困っている子を助けたい!」

という夢を持ったのも、自然のことだったように思います。

 

高校生の時に出会ったマザーテレサの本で、行動力と全てを愛で満たすマザーの人間性に感銘を受け、大学1年生の夏休みに、マザーテレサに会いたいという一心で単身インドのコルカタにあるマザーの施設へボランティアに向かいました。

マザーの眠っている教会で、シスター達は自然と微笑み、私の話を丁寧に聴いて、受け入れてくれました。

1週間、孤児院でボランティアをしていると、同じくボランティアをしている年の近い現地の友達が出来ました。

誘われるがまま、その子の家にホームステイをし、インドの中流階級のありのままの暮らしを体験し、よりインドという国に染まっていきました。

様々な施設で夢中でボランティア活動を朝から晩までしていると、不思議と疲労などなく、自分がしてあげているのに、逆に力をもらうように感じました。

働くことで得られる充実感と、孤児院の子供たちの笑顔が忘れられず、この環境に身をおきたいと、毎年のように夏休みになるとインドへ飛び立ち、学生の休みを謳歌していました。

そして、大学院を修了し、念願の中学校の理科教員として社会人生活をスタートしました。

試行錯誤しながらクラス経営をし、教室環境が大切だと考え、マザーの施設のような、家庭的で温かさがでる教室を心掛け、毎朝黒板にメッセージを書き、自分の机を教室に置き生徒との会話を楽しみ過ごしていました。

自分がいいと思った教育方法も積極的に取り入れ、教員の私が口を出すこともなく生徒同士で話し合うことができるようなクラス経営を行うことが出来ていました。

担任が太陽のように存在していると必然とクラスも明るく、自主性が見についてくるなと実感していました。

まさに、天職でした。

 

9年目の時、産休育休明けで子供2人を抱えての復帰でした。

保育園は激戦で入れず、無認可の園に入園することが決まり、毎朝1歳児と3歳児のお弁当を作って、職場に向かう日々でした。

今までの経験を財産にして必死に過ごしていましたが、子供が発熱や嘔吐などで通院するため、どうしても早退又は休まなければならなかった時、上司が疑うかのように病院の領収書を提出するよう求めてきました。

ほかにも介護休暇で休みを取る先生たちもいましたが、なぜか育児で休みを取るときだけ言われました。

毎朝、保育園から駐車場まで走り、学校の駐車場から職員玄関まで走り、帰りもまた走りと時間にも余裕がなく過ごしていました。

 

熱のある娘をおんぶしながら、早朝に自習課題の印刷をしたこともあります。

どうしても休まないといけない時は、授業の交換をしてもらって何とか生徒に迷惑がかからないように授業をやりくりしていましたが、認められない悲しさもありました。

夫も同じ職業なので、今お願いしてもきっとダメだな、断られる絶望感を味わうなら自分でやりくりして過ごそうと考えていました。

自分の子供にも100%の力を注ぎ、生徒にも力を注ぎ、なんで私だけがこんなに頑張らないといけないのだろうかという気持ちを毎日持って生活するほど、疲れ果て、心に余裕がなくなってきてしまいました。

 

3歳の長女が飲み物をこぼしただけで、怒り、その怒ったことを反省し、自分を責める。

1歳の次女のわがままに腹を立て、暗い部屋に入れたこともあります。保育園へお迎えに向かう車の中で、あれだけかわいかった子供たちの顔を思い出そうとしても、笑った顔が思い出せず、泣きながら保育園への道を運転した日もありました。

それでもお迎えに行くと、「ママ~」と走ってくる我が子に申し訳なさでいっぱいでした。

 

それでも教員という職は天職だと思っていたので、自分で教材を作り、教材教具展では毎回賞をとっていました。

学年のスタッフ間での仕事はやりがいのあるものでしたが、職員室内の上司からのチェックが、毎日「今日は遅刻してないよね?」「明日はいるの?」と言われ続けることで、自分の存在価値が自分の中でも薄れていきました。

2年間我慢しましたが、耐えきれずに退職をしました。

 

自分の子供たちに仕事を辞めると告げると、

「ママ!よかったね!朝、忙しくないね」

「本当にもうお仕事行かない?やった!ママとず~っと一緒にいられるね!!」

とぱ~っと明るい笑顔で言いました。

子供たちも我慢をして、忙しいママに必要以上に気を使って生活していたのだと悟りました。

あれだけ、教員が太陽のように存在していると必然とクラスも明るく、子供も輝くと実感していたのにもかかわらず、自分の家庭の中ではそれを怠っていたということに気がつきました。

 

2年ぶりに子供たちと改めて向き合いながら日々を過ごしていると、自分の家庭でも、私(母)が心が安定して過ごしていると、必然と子供たちも落ち着いて過ごしていたように感じました。

冷静に、落ち着いて丁寧に過ごしていくと、家庭環境でも母親が元気に太陽のように存在している家庭の安定さを肌で感じることができました。

そんな日々を過ごしていると、不登校生徒のための学習室を手伝ってくれないかと、私の退職を知った、お世話になった先生から連絡があり、短時間勤務で公立中学校の学習室の支援員といて勤務をすることにしました。

教室に入れない生徒が人目を気にしながら登校し、やることもなく過ごしている現状をみて、自己肯定感の低い子が多いなと感じました。

まるで、数か月前の自分をみているようでした。

なので、生徒自身の好きなこと、たわいもない話、生き物のお世話、季節ごとの教室の飾りつけなど関わっていくにつれて、この教室ではどんな話も受け止めてくれるという安心感を伝えるように心がけると、子供たちから話してくれるようになりました。

自分で部品を集めてPCを組み立ててしまう子や、読書家な子、ジグソーパズルが得意な子など様々でしたが、認めてもらえる安心感でだんだんと学校で過ごせる時間が長くなり、1年も経つと自分の教室へ復帰する子がほとんどでした。

ここでは、私自身がポジティブに、時にオーバーすぎるほど子供たちを誉めながら過ごしていました。

「自分に自信をもって光輝く大人と関わる子供は輝く。」

これが私が経験してきた中で大切な気づきです。

そして、この気づきを得てから運命のようなタイミングで高校の同級生であり、私のメンターであるたしろさと美講師から連絡がありました。

そこでLMCと出会い、自分の気づきとLMCのビジョンに重なりを感じました。

家庭でも職場でも、もちろん職員室でも、自分が安心・安全・ポジティブな場づくりを心掛けることで、自分をとりまく環境に影響を及ぼすことができるのではないかと思いました。

与えられた環境で自分の輝きを失い、心が疲れている大人たちをもう一度自分に自信をもって輝く場「みんなの保健室」を作りたいと思っています。

そうするとおのずと子供たちに還元されることを知っているから。

大人ってなんだかいいなと思う子供を増やし、未来を担う子供を輝かせるため、子供を取り巻く大人たちを輝かせたい。

これが私のライフミッションです。

私をおすすめする3つの理由

このようなお悩みはありませんか?

1Day講座を受けるとこうなります

この講師の講座を受講した方の声