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自分の意見がない学生時代

褒められる為だけに勉強をし、
友達の言葉には全てYESで
嫌われることを避けていた学生時代。


高校3年で進路を決める時に、
美術系に進みたいと親に話したところ、 

「あなたの絵に期待できない。
これからは英語の時代だから
英語の短大に行きなさい。」

と言われました。

言われたように進路を決めました。
感情がなかったのか、
どう思っていたのか思い出せません。


ただ「あなたの才能に期待できない!」
は後まで心に残る言葉になりました。

私は英語が好きでも
得意でもなかったので、
その後の短大生活はとても苦痛でしたし
就職活動もうまくいきませんでした。

結果20社以上の不採用通知を受け取り、
私は母に告げました。

「やれるだけのことはやったので、
諦めて自分のやりたいことをやります!」と。


小さな頃から折り紙や編み物、手芸など、
自分の手から創り出されることに
喜びを感じていました。

花屋で修行しながら経験を積もうと
時給500円のアルバイトからはじめました。これが運命の出会いとなり、なんでもたくさん経験させてもらいました。


そこまでお花自体が好きだったわけではないのに、その世界にのめり込んでいました。
楽しくて毎日が充実していました。

次第にブライダルを極めたい、
日本で有名なフローリストになりたい、
独立して自分の店を持ちたいと
思うようになりました。

 

 

自分のやりたいことを見つけ行動したら変わった私


自分で何かを作って表現することができ、
私が作ったもので人に影響を与えられること
ができるようになったので、
とても幸せでした。

女性としての幸せも手に入れる為、
結婚・出産・育児休暇に入りました。


自分のやりたいことがハッキリし
本来の自分で生きることが出来ている
と思っていました。

それと同時に、
人の目を気にする事が少なくなった私は、
自分の目を気にし始めたように思います。


自分に厳しく、人にも厳しい
特に子供や夫に厳しい目を持ちはじめ、
苦しくなっていました。

子供たちに厳しく叱り、思い通りにならない夫に嫌味をいい始めました。
そして、自分にも
もっともっとできる!こんなもんじゃない!と家事・育児・仕事をがむしゃらにやっていました。

努力するべきだ!
だから私の人生は変わった!
いい母でなくてはならない!

心の奥底で、なにが大切かわからなく
なっていることに気付いていても、
見ぬふりをしていたと思います。


またブライダルの仕事に復帰したことで、
仕事と家庭との両立の問題が出てきました。

ブライダルの仕事の基本は土日なので
夫に子供を見てもらって出勤。
勤務日・時間は子供を優先に出来る条件で
復帰したはずが、
自分の責任感の強さからか、
早朝の準備から深夜の片付けまで自分でこなし、
だんだんと夫の不満・ストレスが溜まり
喧嘩も増えていきました。

元々の短気を助長させたのか、
テレビが2台壊れました。
浮気もされました。


快く協力してくれないように見えた夫への 私の不満も増え、
幸せな結婚生活は長男が小学生に上がる時を節目に離婚という結末を迎えました。

 

花の仕事を諦められない

離婚を機に
私は大好きな花の仕事を手放すこと
なります。
もう土日に仕事はしない!
子供たちは私が育てる!
土日は大好きなサッカーをさせてあげたい!


派遣事務をしながらも、
お花の仕事がしたい!独立したい!と
いう思いがくすぶり続け、
小さくオーダー受注したりしていました。

独学であまり自己投資できない状態では
大きく成功はせず、
うまくはいきませんでした。

いよいよ勢い余って派遣を辞めて、
花起業1本で行くぞ!と決めてから
コロナウイルスというものが出てきました。

少しずつ受注でき始めていた
ブライダル装花の仕事は延期が決まり、
世の中はお花を求めている場合では
なくなりました。

仕事がなくなってしまいました。
保険営業の仕事に飛び込みました。

でもコロナを言い訳にしている自分
必要としていない人にセールスは出来ない
と思い込んでいる自分がいて、
契約がとれず、とても落ち込みました。

そもそも保険に価値も情熱も見出せなかったのです。やる理由がない状態。


残業も多く子供たちとの時間は取れず、
家ではいつもイライラしていました。

子供たちと幸せになるために、
離婚し、職を変えたのに、
私は一体何をしているのだろうと
思いました。


自分は価値がないのではないか、
あれほどブライダルでは求められていたのに私の居場所はここではないのではないか。


私は本当にどうしたいのだろう。
自分と向き合いたい!
ホリホリしたい!
これがLMC協会との出会いでした。


どのカードを引いても私の気持ちは
「休みたい…」でした。
離婚する前からずっと走り続けてきて、
自分を癒すことをしてこなかったのだと
気付きました。


本当は休むことに許可を出して良いと
わかっていて、
でもそれが許せなかったことにも
気付きました。


 

安心・安全・ポジティブな場を知る

私はTW養成講座を受講し、
安心・安全・ポジティブな場を知りました。


嫌なことがあっても
他人は他人!
私は私の出来ることを!
周りは関係ない!

と思っていた私にとって
「環境の違いで
人のパフォーマンスが違うことがある」
なんて、気付きもしませんでした。


安心・安全・ポジティブな場を
理解した私にベストなタイミングで
その状況を目の当たりにする
出来事が起きました。

サッカーをしている小4の息子が
チームの転籍を考えており、
体験した中のあるチームで
息子のパフォーマンスが全く違う
とういう事がありました。


所属していたチームは少年団で
私たち親世代の部活の様な指導法で、
罵声を浴びせるコーチがいました。
弱いチームでした。


体験したチームは
コーチの声が客席に届くことはなく、
プレイが終わった後に
フィードバックをくれるコーチでした。


環境を変えた息子は、
別人かと思うほどキラキラ輝き、
最高のプレイをしていました。


足も速く、動けるはずなのに、
傍観者のように
外から見ていることが多かったのに、
今はコートの端から端まで走り回っている!

息子に感想を聞くと、
「失敗してもドンマイと声かけてもらえて、頑張ろうと思える。
コーチは後で理由付きのアドバイスしてくれる。
だからどうすれば良くなるのかが分かる。自分で考えて動いても怒られることがない。」
と言いました。


環境を変えたことで、
こんなにも動きに差がでるとは
思っていなかった私は、
今までの上手くいかなかった自分を
思い出していました。

自分の努力が足りなかった、
実力がなかったと自分を責めていました。


子供時代に「人のせいにしない!
自分の努力次第だ!」と教えられて
きたと思います。

自分がどう感じて
どう良くしていきたいのかを
言える環境ではなかったと感じます。


身を置いた環境のために、
成果が出ない人がいる。
やりたいことが見つけられない人がいる。
自分の想いを口に出来ない人が
他にも沢山いると思いました。


この安心・安全・ポジティブな場が
世界中に広まったら

自分の想いを伝えること
受け入れることが普通になり、
やりたいことがやりたいと言える
世界になる!

そう思いました。

 


私のビジョンとライフミッション

起業当初に描いていたビジョンを
思い出しました。


入口にはたくさんの花があって、
奥では子供たちが自分の気持ちに気付き、
自分で選択し、夢を持てるように、
たくさんの経験ができる場を作りたい!
そう思っていたのです。


書道や英語だけじゃなく、
自由に絵を描いたり、編み物をしたり
ヨガ・ボクシング・プログラミング
職業体験だってなんだって、
好きな時に参加できる
知的好奇心の〇〇ランドのような
アフタースクール


大人もそれぞれの強みをここで提供し、
大好きな事を伝えている輝いた姿を
見せて欲しい。

子供が子供に教えたっていい。
子供からおばあちゃんまでが
自分の強みを切り売りしていく場所。

今までは漠然と
いいなと思っている程度でしたが、
なぜそういった場所を作りたかったのか、
どんどん言語化されていきました。


それは
「安心・安全・ポジティブな場で
選択肢がたくさんあったら、
やりたいことがない人なんていない」
と思ったから。

私は自分で考えず
人の目ばかり気にしていたから、
何が好きか、やりたい!がなかった。

人の目を気にしなくなったら
自分のやりたい!が自然に出てきた。


小さなころから
自分の本当の好きを知り、
それを表に出せるように
みんなで安心・安全・ポジティブな場を
作っていく。


花のあふれるアフタースクールを
作る理由が明確になり、
私の次のビジョンとなりました。


私のライフミッションは、

「夢を持たない人をゼロにしたい!」

「人の目を気にして
やりたいと言えない人をゼロにして、
日本人が皆、心から楽しく生きる国にする!」

です。

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