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初めまして、

ビジネス・らいふ・コンサルタント
ライフミッションサポーター

社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー

河原優美子です。

【ビジョン】

 わたしたちは、会社と労働者のパイプ役になり、夢や希望を持ち、人生を楽しみ、働き続ける大人が増える社会の仕組みを構築します。

【ミッション】

 労働者のライフスタイルに合わせた新しい働き方を、経営者とともに創造し、一人ひとりの個性が発揮できる生産性の高い職場作りをサポートします。

 

私のライフミッションは、
『人生100年時代、
   人生を楽しみ幸せに暮らす人たちを増やすことです』

還暦過ぎても、やりたいこと無いなんてつまんない、
なんでもチャレンジしよう!!
だって誰も私のこと見てないし、気にしなくても大丈夫。
周りで何か言われても、ヘッチャラ、今まで我慢してきたんだから
多めに見て頂戴!!

私自身がこんな風に思えるようになったのも、
自分の道=ライフミッションを見つけたからです。

 

私は、女性の集まりが苦手でした。
 嫌いでした。

 

LMC協会では、子育て中の女性が99%
それを知っていたら、
受講しなかったかもしれません。

何故か?
女性の集まりが嫌い!
女性の集団が苦手だったのです。

それは、母親が私の言うことを信じてくれない。
頑張っても認めてくれない。
2歳上の姉のことは信じ、
姉のことばかり、ほめていました。

母親や姉は気分によって、
態度が変化したり、
長話が多すぎたり、
私の思い通りにならなかったからです。

母親と姉の言動、行動=女性だったからです。

父や兄は、大好きでした。
父や兄は、私にとてもやさしく接してくれたり
好きなお土産を買ってきてくれたり、
私が喜ぶことをいつもしてくれたのです。
兄は、小さなころから
優しく、初めての自転車乗りも
手伝ってくれました。


中学生の時には、兄の友人たちと一緒に
ドライブに連れて行ってくれたり、
旅行にも連れて行ってくれたりしていました。

私の心の中で、
女性は、うるさく勝手気ままな人たち、
私とは、会わない人

男性は、私を認めてくれ
話もよく聞いてくれ、
私のプラスになる人たちという考えができていました。

結婚して、夫は信じてくれている
認めてくれる存在と思っていました。

私が行動していること、頑張っていること、
なぜ、いつも信じてくれないのか?
認めてくれないのか?
応援してくれないのか?と
寂しく思っていました。

子どもが夜恐症で眠れないときに、子供2人を車に乗せ、
寝るまで走り続けても、
何も言わない夫、
子どもが泣いてうるさいという夫

本当は優しい人だけど、

でも、私が悪いんだ、妻として、母親として
私の責任なんだからと過ごしてきました。

 

それからは、私もパート勤めをすることにしました。
新しい仲間たちとの時間を持てるようになっていきました。

子どもたちの教育費や住宅ローンなど
お金がたくさんかかってくる、
子どもたちの帰りも遅くなることで、パートから契約社員になり、
順風満帆に進んでいたように感じていました。

また事件が起こりました。
夫にがんの疑い
その時は、夫の死を考えてしまい、
自分一人で子供たちを育てるには、
どうしたらいいのか?
お金がいる
どんな保証があるのか?

そんなことが頭の中で思考がぐるぐるしていました。

子供たちが成長し、
自分たちもどちらかが先に行けば、
いつかは、来るであろう、
一人暮らし、
そのための対策も考えていこうと
この時考えました。

年金相談、年金受取口座の営業で
老後のことも詳しく勉強していきました。

そのころ妹は、入退院を繰り返していました。

妹の代わりに手続したところ、7年前から受給できることを知りました。
しかし障害年金に時効、5年以上前は受給できないのです。

5年遡及分・・〇百万支給があり、時効2年分・・〇百万円の損をしました。

もっと早く知っていれば、もっと知識があればと後悔しました。

お客さまより、もっと身近な妹を助けられなかったことを後悔していました。


それをきっかけに、社会保険労務士の資格を目指すことになりました。

受験資格が短大以上ということを知り、
短大にいき、社労士試験の勉強も
家事・育児・仕事(契約社員フルタイム)
すべてこなしました。

猛勉強し、
何度も失敗し、7回目の受験

あきらめなければ夢は叶う!!

そのころからのスケジュール

5時に起き、勉強1時間、お弁当、朝食、洗濯などの家事
8時出勤、
18時に帰宅、夕食準備、洗濯物などもろもろの家事を済ませ
夕食後の片づけなど、すべての家事を済ませ

20時 勉強

22時 お風呂等明日の準備

23時 就寝

しかし、私自身も視線が夫や子供達から、
勉強や新しくできた友人へ視線が移ったこともあり、
子供たちに変化、あまり言葉を交わさなくなっていた子供達も私にもよく話すようになり、
夫も洗濯物を入れるなど、協力的になり、嬉しい変化が起こりました。

突然、今まで言われたことがない
「いつも弁当ありがとう」とメールが来ました。

そんな言葉を聞いたこともないし、会話もほとんどないのに嬉しく、
心の中でニヤニヤしていましたが、

どう返事を返していいのか、
夫の気持ちを素直に受け取れず、既読スルーしてしまいました。

自分が決めたことだから、資格を取ると旗を掲げた以上、
合格するまで一歩一歩進みました。

それぞれ子供たちも就職し、生活を始めていきました。
自分一人で頑張っている、そんな気持ちで勉強していました。

短大卒業後、有志が集まり勉強会を始めました。
賛同してくれた短大の教授も参加してくれ、
幹事になった私は、毎回のスケジュール、会場予約、
会場費用の徴収すべてを一人でこなしました。

勉強会仲間が手伝ってくれないことにイライラしながら、
教授が来てくれるのに中途半端にできないこともあり、全てに全力投球でした。

勉強に明け暮れた毎日でした。

旅行も外食もほとんどしない生活をしていました。

最初の頃は、勉強が新鮮で、知識が増えていくことに満足で楽しいと思っていました。

長い勉強生活、あと一歩で合格できず、辞めようと思いつつ、勉強会に参加してくれる恩師に合格の報告をしたいという思いだけで、

家族のことは考えていませんでした。

ホントに頑張りました。
自分でほめたいくらい頑張りました。

合格をしたときに
気付きました。

自分の頑張りだけでは得られない、
家族の協力があったから勉強ができ、合格できたと思いました。

『あきらめなかった理由』の一つは、同じ勉強仲間がいたことです。

また、落ち込んだ時に恩師がいつも
「決めたことですから」の一言で
資格を取得した理由を思い出していました。

私自身、気が付いていなかった家族の支えもあったからです。

もう一つは、資格を取れば、収入がアップすると思っていたことです。
収入がアップすれば、夫に俺の金で生活していると言われなくなると思っていました。

そして、妹みたいに障害年金を請求することを知らない人たちも救える妹の役にも立てると思っていました。

しかし、私自身、やっと勉強から解放される喜びとこれから資格がどう生かされるかと不安もありました。

でも、資格を取っても私の会社での地位に変化なし、給与も変化なし、

正社員に支給される資格手当、契約社員には無い!!
そんな不公平は我慢できないと上司に抗議、合格証書を社長に送り付け、交渉!
この資格は、年金相談員に必要な資格と熱く説明、社長も承諾してくれました。

資格を取って1年後に社労士の登録をして、名刺にも資格を載せ、
営業の仕事もバンバンとるぞと思っていました。

収入はアップ!?しませんでした。

何も変化なし。

資格取得に没頭した理由の
もう一つの理由

年金受取口座の獲得営業成績は
いつも最低ランク、


上司から、「もっと獲得してこい」
「そんな、ちっちゃなプライドなんかいらんぞ、
1件でも多く頼んで取ってこい」

「あの成績優秀な人に聞いてこい」
「ほんとに仕事しているのか?日報を書いて、毎日反省しろ」

など、上司から浴びせられるこえに嫌気がさし、
逃げたい気分を抑え、
知識だけは負けないぞ、
みんなに尊敬されたいとその気持ちだけで、
資格を取り、退職して逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。

 

私は54歳になり、長女が結婚し、孫も生まれ、プライベートでは、
順風満帆と思われていた時、
46歳になった妹は、相変わらず、入退院を繰り返していました。
闘病生活も長く、病気が悪化、歩くこともままならず、車いす、ほぼ寝たきりに近い状態

要介護5、障害年金1級になっていました。

その時の妹は、薬の副作用で体もむくみ、私よりも老け、
老眼鏡がないと見えない、私は妹を直視できなく、

段々、妹から遠ざかるようになっていました。
でも・・・・・いつどうなるかわからない!

一緒にいる時間を増やしたいと思いました。
行くと「おねえちゃん、いつもごめんね」という妹
自分より他人を気遣い、私はとてもつらく感じていました。

妹との楽しい思い出がよみがえりました。
8歳下の妹は、小さいころからいつも
私の後ろをついている存在でした。

妹が、結婚したあとも家族で何度も一緒にディズニーランドへ行き、
子供達も兄妹のように仲よく遊んだりしていました

楽しい思い出がいっぱいでした

今の職場では会える時間に限界があると感じ、起業すると自由になれる、
お金も増えると思い社労士事務所の開業を考えていました。

開業する理由がもう一つあります。

5人しかいない主人の会社、突然の社長の死
会社は廃業になってしまいました。
今までの仕事を引き継ぎ個人事業主として出発した夫を助けなければと思いました。

今度は私が稼いで、夫に家事の大変さも知ってもらういいきっかけ?

専業主夫になってもらおうと思いました。

まず、起業しても、今の給料を確保しなければと思い、
退職前に、年金相談窓口の契約準備、
契約社員時代の手取り給与分の確保することができました。

今までお世話になった上司、同僚に名刺を持って挨拶に行きました。
お礼と今後の仕事のご挨拶です

その結果、起業して2年後に前職の同僚、
上司から、顧問先を紹介してもらえるようになりました。

56歳で退職し起業、順調に進み、いろんなセミナーにも参加し、最初の目的を忘れ

仕事に没頭していた時に・・・

最初の目的でもあった妹との時間、一緒に過ごす時間も取れず
妹は、49歳で亡くなりました。

途方に暮れ、仕事への意欲も薄れてきました。
もう一度、妹のため、家族のため、目標、夢を見つけようと、
セミナーに参加、認定講座に参加し、

社労士事務所の看板を掲げたけど、
何を目標にしたらいいのかわからず、夢も希望もわかず

ただ、呆然と毎日を過ごしていました。

いつもと同じ毎日を過ごしていました。

夫には持病があり、月に一度病院にかかっていました。

大腸がん検査で、初期がんが見つかり、手術することになりました。
手術日が決まってから、夫は暗く沈み、死を意識していました。

気力を失い、外出もしない。
手術日までに、仕事の日程調整などいろいろ始めていた時
暗い事件は続くもので、認知症で施設にいた母親が突如亡くなったのです。

母親の死後の届け出、手続きも全て離れて住む兄の代わりに私が行いました。
施設、市役所、金融機関などあちこち駆け回り、

悲しみより、日常の繁忙さが勝っていました。
やっと、母の手続きが終わったころ夫の手術です。

 

手術日、たった一人、病院で待っているときは、不安でした。
手術後の治療はどうなるのか?

癌と聞くと、放射線治療、薬の投与など長期治療を想像していました。

 

無事、何事もなく退院
幸い、手術後も、治療もなし、経過観察のみになりました。

夫も一か月後に仕事復帰し、元気になり釣りにも行くようになりました。

安心した私は、これからどうしよう!

妹、母、夫といろいろな出来事が走馬灯のように私を襲ってきました。

社労士として、色々勉強して、会社の経営も学んでも自分のヴィジョンが見えてこないのです。

妹のように病気で働けない、しかし働きたいと思っている人たちを応援、
社会に貢献できるようなこと?をしようかと考えました。

それからは、認定講座やセミナー、高額起業塾、色々参加しても目的も見つからず、

色々検索する中トゥインクルスター養成講座説明会での

「内面ホリホリ、幸せのコップ、癒しのヒーリングコード」

目的が見つかるかもしれない、自分の背中を押してくれるかもしれない

そんな気持ちが沸き上がり、即受講しました。

自分と向き合うこと5か月、妹のことを思い出しては涙、夫や家族の関係を再確認

新しい自分というより、本来の自分の姿を取り戻したようでした。

若くないと何もできない、
女性は美しくないと男性に好かれないなど
自分が考えてきた女性の理想像。

私が女性の集まりが嫌いだった理由も
これだと気づきました。

自分と向き合って、ありのままの自分が一番素敵だと思いました。

私のヴィジョン、ライフミッションは何か?
安全・安心・ポジティブな場で皆と会話することで何か明るい光が見えてきたようです。

私と同じように行く先が見えなくなった人、資格を取得したが生かしきれない人、何度も資格取得をあきらめている人達を応援すること、

なぜ、あなたはその資格が必要なのか、その資格を取った後の夢は何かを一緒に探っていきたいと思います。

なぜなら、私は、資格を取るだけでゴールではないこと
そこからの人生がスタートであることを知りました。

だから、安全・安心・ポジティブな場で自分のライフミッションを見つけることです。

そして、みんなそれぞれ他人を気にせず笑顔で過ごすことを応援していくのが、
私自身のミッションです。

資格を持っているから、できることがあります。

資格に縛られることもあります。

資格を取るために頑張った自分をほめましょう。
みんなが応援してくれたことを知り、新たなスタートを私と一緒に進んでいきましょう。

私をおすすめする3つの理由

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