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初めまして、
  河原 優美子と申します。

私は、社会保険労務士、ファイナンシャルプランナー、
 LMC協会 ライフミッションファシリテーター です。

社労士FP事務所としての理念は、

【ビジョン】

 わたしたちは、会社と労働者のパイプ役になり、夢や希望を持ち、人生を楽しみ、働き続ける大人が増える社会の仕組みを構築します。

 

【ミッション】

 労働者のライフスタイルに合わせた新しい働き方を、経営者とともに創造し、一人ひとりの個性が発揮できる生産性の高い職場作りをサポートします。

 

私自身個人のライフミッションは、
『人生100年時代、年齢や環境に惑わされることなく、
   人生を楽しみ幸せに暮らす人たちを増やすことです』

還暦過ぎても、やりたいこと無いなんてつまんない、
なんでもチャレンジしよう!!
だって誰も私のこと見てないし、気にしなくても大丈夫。
周りで何か言われても、自分が出来なくて、うらやましくて、
悪口言うんだよ!

私自身がこんな風に思えるようになったのも、
自分の道=ライフミッションを見つけたからです。

 

それまでというもの、
昭和世代の考えを引き継いでいるので、
子育て、家事は、妻がすべてやるもの
それが当たり前と思っていました。

私は、自分が行動していること、頑張っていること、
なぜ、いつも信じてくれないのか?
応援してくれないのか?と
思っていました。

子どもが夜恐症で眠れないときに、子供2人を車に乗せ、
寝るまで走り続けても、
何も言わない夫、
子どもが泣いてうるさいという夫

でも、私が悪いんだ、妻として、母親としての責任
だからと過ごしてきました。

子供たちが成長し、
自分自身の時間が持てるようになったときに
夫がうつ病になり、家庭が暗くなってはと
本を読み、対処方法を探り、
治療のおかげで何とか復帰できました。

それからは、私もパートに出るようにして、
社会との接点を持てるようになっていきました。

パートから契約社員になり、
順風満帆に進んでいたように感じていました。

妹の病気で、障害年金手続きから、

社会保険労務士の資格を目指すことになりました。

短大での学び、社労士試験の勉強も
家事・育児・仕事(契約社員フルタイム)
すべてこなしました。

46歳で短大に入学し、その後、猛勉強し、
何度も失敗し、7回目の受験

『あきらめなければ夢は叶う!!

54歳で資格を取得し、55歳で開業しました。

ホントに頑張りました。
自分でほめたいくらい頑張りました。

合格をしたときに
気付きました。

夫も陰ながら、
応援してくれていました。
子どもたちも、気を使ってくれていました。

家族みんながお祝いしてくれました。

今まで、私ばかり・・・
大変な思いをしていたと感じていたけど
それぞれ家族なりの応援の仕方をしてくれていたんです。

家族への感謝を忘れないように
これからも大切にしていきたいと思います。

しかし、最近は、
定年夫との二人暮らし、
イライラもいっぱい!

結婚して36年、所詮他人、
紙一枚でつながっている家族だから、
相手を思いやり、気遣い、意見の食い違い、
すれ違いも多々あります・・

「あれ、それ」で通じる家族になってきたのでしょう。

契約社員時代に『妹の病気』をきっかけに
社労士になろうと決断、
妹とは8歳違い、

妹は、可愛く、私を慕い、
甘えてくる存在でした。

高卒で金融機関に就職、5
年間勤め、昭和時代のど真ん中で
育ってきた私にとって、
結婚や出産で仕事を辞めるのは当たり前
だと思っていました。
だから、長男出産のため退職、
専業主婦になりました。

それから、長男5歳、長女2歳、次女も生まれ、
3人の子供のため、家族の為と、
あわただしく毎日が過ぎていきました。

夜中に授乳やおむつ替えに何度も起き、
翌朝は夫を起こし、長男の幼稚園、
日中というと娘2人の世話、休む暇がありません。

布おむつが主流で、
紙おむつを使うことはよくない、
粉ミルクより、母乳で育てなければいけない

それが、いい母親であると思いこんでいました。

毎日、布おむつを手洗いしてから、洗濯機へ
柔軟剤は、体に良くないとお酢を薄め、
殺菌、柔軟剤替わりにしていました。

へとへとに疲れていました

家では布おむつ、外出時のみ紙おむつ、
母乳だけで3人を育ててきました。

夫が唯一手伝ってくれたのは、お風呂に入れることでした。

夫は、趣味の釣りに出かけ、
家事育児は、すべて妻任せ、

夫に対して不満は募るばかり
心の中では『もう少し手伝ってよ、もう少し私を見て』
と叫んでいるけど・・・言えませんでした。

いわないことが、家庭円満、
夫に不満を言ってはいけないという
思い込みもありました。

食事の時も、テーブルに並べることも、
片付けることも、お風呂に入れば、
下着からタオル、パジャマまで用意し、

部屋に脱ぎ棄てた洋服も洗濯機に持っていくことも、
私がすべてしていました。

私は尽くすことがいい嫁、
尽くすことで満足していたし、幸せを感じていました

でも、我慢していることも疲れてきました。
しかし、夫が稼ぐから、自分たち家族が安心して
生活できるとも思っていました。

アウトドアが趣味でもある夫、
長男を小学1年生からボーイスカウトに入れ、

夫もボランティアとして参加していました。 
日曜日には、夫と長男がボーイスカウトに出かけ、
2人は私と過ごすことになりました。

また、夫一人でボーイスカウトへ行くときもあり、
そんなときも、私一人で3人の子育てをすべてやっていました。

他人の子供たちを見るのなら、自分の子供達も見てほしいと、
私は、不満で爆発寸前でした

3人の子供たちが、幼稚園、
長男が小学生になるとお迎えまでの時間が空くので、
ママ友の多くはパートに行くようになり、
私もパート勤めしようと考えていました。

専業主婦になって10年。私は35歳になっていました。

夏休みなどの長期の休みや、
病気のために休みを取ることに不安があり、
そのうえ、何も資格も取り柄もない私、

子供達がいない日中、何か物足りなさを感じる日々、
次女が幼稚園の年長になった時に、
幼稚園の役員に選ばれました。

月に1回の役員会合、会計を任せられていた
私は、毎回お茶菓子の購入、銀行へ足を運び、
PTAのお金の管理は重責で大変でした。

しかし、役員同士仲良くなり、
今までのママ友の集まりと違って、
幼稚園の園長先生との会話も新鮮で

また、保護者の前でのあいさつなど、
人前に出て話すことなど新しい挑戦も楽しい時間でした。

次女が小学1年生の時には、長男6年生、長女3年生、
授業参観は、平日に行うため3人の教室を分単位で順番に回り、
行事、保護者会、家庭訪問、運動会、学芸会と欠かさず参加していました

3人平等でなければならないと必死でした。

子育てに熱心なご主人は休暇を取り、
参加していました。

夫は子育てを妻がするものと思っていました。

専業主婦になって、12年。私は37歳、
年齢を重ねていくと、パートの募集が少なくなってきます。

40歳までに勤めなければと焦っていました。
他人と比較して同じようにしなければいけないと思っていました。

そんなとき、前職から、パートの誘いがあり、
子供達の長期休みも休暇がとれる条件で働き始めました。

金融機関なので、土日、祝日も休みなので、
都合のいい働き場所でした。

久々に働き始めた職場、〇〇ちゃんのお母さん、
〇〇さんの奥さんから、河原さんと呼ばれるのは嬉しかった!!

パートであるにも関わらず、
責任ある仕事を任せられ充実していましたが、

所詮パート、時給いくらの世界、
他の人が2時間の仕事を私が1時間で終わっても時給は同じ

正社員同様に働いても・・

一生懸命働いても報われないことに
イライラしながら、働き続けました。

正月明けの4日から仕事をするようにしました。
子供達と夫、どうしているのか心配していましたが、
子供達と映画を見に行ったり、食事に行ったり夫も楽しんでいました。

私がいなくても、心配することないと気づき、
それから少しづつ、夫に子供達を任せることにしました。

パート生活も4年が過ぎ、私は42歳、
末子の次女が中学生になると、学校での行事も少なくなり、
親が学校へ行くのは保護者会、授業参観と数回です。


私は、できるだけのことはしたい、
子供3人、不公平を味合わせたくありませんでした。

なぜなら、私自身いつも姉のお古ばかりで
新しいものを買ってもらう友人がうらやましく、
みじめな気分を感じていました。

子供達にはそんな思いをさせたくなかったのです。

子供たちに贅沢をさせるつもりはなく、
私みたいな気分を味合わせたくなかったのです。

契約社員になったのは、私が43歳、末子が中学生になった時、
長女は高校生、長男は大学生でした

このころ、教育費用や住宅ローンなどの出費が多いこと、
子育てに一生懸命になりすぎて
『子育てが終わると殻の巣症候群』になると聞いたこと、
私自身も家庭だけにとどまらず、
社会との繋がりが欲しかったことも理由の一つです。

それで、夫の扶養から外れ契約社員になりました。
契約社員になって、懇親会に役員(元上司)が参加したとき、
私を当時のあだ名で呼び、食事をとりわけ、

「ちゃんと食べているか?これも食べろ!」(中年のおばさんになった私に)
「食べ過ぎだから、いいですよ」と断ると
「これも飲め」
「いいお母さんになったなあ」
「いいおばさんになりました。」と言葉を返し・・
役員とこんな会話していると、同僚は不思議そうに見ていていました。

20年以上も前のことも覚えていてくれることはとても嬉しく、
こんなおばさんになっても、心配してくれるのは有難く、
ここに勤めてよかったと思っていました。

その役員の方には何度も気にかけていただき、
時々、声をかけていただいたり、励まされたりしていました。

職場に恵まれ順調に仕事をしていました。

しかし、役員とも仲がいいことで、同僚には嫌味を言われることもありました。

契約社員の仕事は、基本給に年金受給獲得実績が加算されるため、
勤続年数に関係ありませんでした。

セールスが苦手な私は、同僚より知識を深めていけば、
自信をもってセールスができると思っていました。

年金アドバイザーの資格を取り、他の同僚からも一目置かれるようになりました。

同僚が手を付けない障害年金、遺族年金も獲得し、お客様に感謝されました。

自分にとっての天性の仕事と思えました。
仕事は順調で、生きがい、やりがいを感じていました。

しかし、『あること』がおこりました。

次女が中学を卒業するころの出来事です。

一つは、私の8歳下の妹は、2人目の子供を産んでから、仕事、家事、
そして、勉強など無理をしすぎて病気になり、
入退院を繰り返すようになっていました。

 私が、知っている年金知識で、障害年金を受給できるかと、
社労士に相談したところ、遡って受給できることを知り

 妹の代わりに手続したところ、7年前から受給できることを知りました。
しかし障害年金に時効、5年以上前は受給できないのです。

5年遡及分・・〇百万支給があり、時効2年分・・〇百万円の損をしました。

もっと早く知っていれば、もっと知識があればと後悔しました。

お客さまより、もっと身近な妹を助けられなかったことを後悔していました。

そして、もう一つの事件

夫が定期健康診断で癌の疑いがあると言われ、検査入院することになったのです。

癌=死と頭の中での連想、手術してもそのあとの病院の治療費、闘病生活、子供たちの教育費、生活費など、

と頭の中で様々なことが巡り、その日は仕事が手につきませんでした。

幸い癌ではありませでした。

しかし、半年ごとの検査が続くことになったのです。

この2つの出来事が私の気持ちに大きな変化を与えました。

癌=死 ではないのですが、いつどうなるかわかりません。

夫が亡くなったら、遺族年金はいくら、

子供たちが高校を卒業すると年金額も下がるし・・

生命保険がいくらで不足はいくらぐらいなど、

持っている知識をいかし、ライフプランを立ててみました。

夫の給料を当てにしない生き方、私自身が稼げばいいと思いました。

俺の給料で生活しているとも言われなくなる

それには、どうしたらいいのか悩みました。

今の給料では、将来に不安を感じました。

知り合いになった同年代の女性社労士から、社労士資格をとることを勧められていました。

開業すれば定年もないことや、女性としてもやりがいもあるし、多くの収入が見込めると聞きました。

知り合いの社労士から、

「年金知識も豊富、社労士より知っているから大丈夫」と言われ、

私にはこれしかないと、妹みたいに受給できるのに申請してない人を助けられる

収入もアップするから、夫に俺のお金で生活していると言われない!!

と必ず資格を取ることを決意しました。

そのころからのスケジュール

5時に起き、勉強1時間、お弁当、朝食、洗濯などの家事
8時出勤、
18時に帰宅、夕食準備、洗濯物などもろもろの家事を済ませ
夕食後の片づけなど、すべての家事を済ませ

20時 勉強

22時 お風呂等明日の準備

23時 就寝

しかし、私自身も視線が夫や子供達から、

勉強や新しくできた友人へ視線が移ったこともあり、

子供たちに変化、あまり言葉を交わさなくなっていた子供達も私にもよく話すようになり、

夫も洗濯物を入れるなど、協力的になり、嬉しい変化が起こりました。

突然、今まで言われたことがない

「いつも弁当ありがとう」とメールが来ました。

そんな言葉を聞いたこともないし、会話もほとんどないのに嬉しく、
心の中でニヤニヤしていましたが、

どう返事を返していいのか、
夫の気持ちを素直に受け取れず、既読スルーしてしまいました。

自分の車で短大へ行く途中、交通事故を起こしてしまいました。

見通しの悪い交差点、私の方が一時停止、直進した私は、右から来る車に気が付き

「あっ!」

ドカン、ガシャッ

私の車はガードレールに乗り上げ、頭は真っ白、眼鏡は助手席に飛び、自分がメガネをしていないことも、ケガをしていることも気づいていませんでした。

自宅にいる夫へ電話、車は大破、相手は大したけがもなく、後はすべて夫が手配してくれ、けがをしていた自分を病院に連れて行ってくれ、

心配してくれる夫のありがたさが身に沁みました。

今までないがしろにしてきた夫に感謝しました。

いつも、夫は何もしない、してくれないと勝手に想像していた私は深く反省しました。

他にもいろいろありましたが、48歳、無事に短大を卒業、

長女も専門学校卒業、

次女も高校卒業で一段落です。

子育ても短大も卒業できたと感動していました。

短大の卒業式、一緒に学んだ友人と卒業式に参加、通学の大学の卒業式と一緒に行われていました。

意気揚々と、卒業式の会場に入ろうとしたら、係の人が、

「すみません、そちらは卒業生が座る席で、保護者の方はあちらです。」

友人と私は思わずムッとした顔で、

「私たち短大の卒業生です!!

係の人は焦って「すみません」と平謝り

確かに卒業生の親と年齢変わりないけど、

すっかり、卒業気分がさめて、現実に引き戻されてしまいました。

それから、社労士試験の受験勉強が待っていました。

合格率10%を切る試験、10か月で1000時間の勉強時間が必要と言われる資格に臨む覚悟です。

短大の時のスケジュールに加え、通勤の時にもCD視聴、お昼の休憩時間も勉強。

最低3時間の勉強時間を作り頑張りました。

本当に努力しました。周りなんて気にしません。

自分が決めたことだから、資格を取ると旗を掲げた以上、合格するまで一歩一歩進みました。

それぞれ子供たちも就職し、生活を始めていきました。

自分一人で頑張っている、そんな気持ちで勉強していました。

短大卒業後、有志が集まり勉強会を始めました。

賛同してくれた短大の教授も参加してくれ、幹事になった私は、毎回のスケジュール、会場予約、会場費用の徴収すべてを一人でこなしました。

勉強会仲間が手伝ってくれないことにイライラしながら、教授が来てくれるのに中途半端にできないこともあり、全てに全力投球でした。

勉強に明け暮れた毎日でした。

旅行も外食もほとんどしない生活をしていました。

最初の頃は、勉強が新鮮で、知識が増えていくことに満足で楽しいと思っていました。

長い勉強生活、あと一歩で合格できず、辞めようと思いつつ、勉強会に参加してくれる恩師に合格の報告をしたいという思いだけで、

家族のことは考えていませんでした。

どうしても、夫と二人で九州の親戚に行かなければならなくなり、夫の親戚に泊まることになっていました。

勉強道具一式もっていきました。

親戚のうちで勉強なんてできるわけないと思っていましたが、もっていかないと不安な気持ちになるのです。

夫はあまり協力的ではないと思っていました。

届いた合格証書を家族に見せて、報告

夫も子供達も祝福してくれました。

その時、初めて気が付きました。

自分の頑張りだけでは得られない、家族の協力があったから勉強ができ、合格できたと思いました。

『あきらめなかった理由』の一つは、同じ勉強仲間がいたことです。

また、落ち込んだ時に恩師がいつも

「決めたことですから」の一言で

資格を取得した理由を思い出していました。

私自身、気が付いていなかった家族の支えもあったからです。

もう一つは、資格を取れば、収入がアップすると思っていたことです。

収入がアップすれば、夫に俺の金で生活していると言われなくなると思っていました。

そして、妹みたいに障害年金を請求することを知らない人たちも救える妹の役にも立てると思っていました。

しかし、私自身、やっと勉強から解放される喜びとこれから資格がどう生かされるかと不安もありました。

でも、資格を取っても私の会社での地位に変化なし、給与も変化なし、

正社員に支給される資格手当、契約社員には無い!!

そんな不公平は我慢できないと上司に抗議、合格証書を社長に送り付け、交渉!

この資格は、年金相談員に必要な資格と熱く説明、社長も承諾してくれました。

資格を取って1年後に社労士の登録をして、名刺にも資格を載せ、営業の仕事もバンバンとるぞと思っていました。

収入はアップ!?しませんでした。

何も変化なし。

私は54歳になり、長女が結婚し、孫も生まれ、プライベートでは、順風満帆と思われていた時、

46歳になった妹は、相変わらず、入退院を繰り返していました。

闘病生活も長く、病気が悪化、歩くこともままならず、車いす、ほぼ寝たきりに近い状態

要介護5、障害年金1級になっていました。

その時の妹は、薬の副作用で体もむくみ、私よりも老け、

老眼鏡がないと見えない、私は妹を直視できなく、

段々、妹から遠ざかるようになっていました。

でも・・・・・いつどうなるかわからない、私よりに先に逝ってしまうかもしれないと思いました。

一緒にいる時間を増やしたいと思いました。

行くと「おねえちゃん、いつもごめんね」という妹

自分より他人を気遣い、私はとてもつらく感じていました。

妹との楽しい思い出がよみがえりました。

8歳下の妹は、小さいころからいつも

私の後ろをついている存在でした。

妹が、結婚したあとも家族で何度も一緒にディズニーランドへ行き、

子供達も兄妹のように仲よく遊んだりしていました

楽しい思い出がいっぱいでした。

今の職場では会える時間に限界があると感じ、起業すると自由になれる、

お金も増えると思い社労士事務所の開業を考えていました。

開業する理由がもう一つあります。

5人しかいない主人の会社、突然の社長の死

会社は廃業になってしまいました。

今までの仕事を引き継ぎ個人事業主として出発した夫を助けなければと思いました。

今度は私が稼いで、夫に家事の大変さも知ってもらいたいから

専業主夫になってもらおうと思いました。

まず、起業しても、今の給料を確保しなければと思い、

退職前に、年金相談窓口の契約準備、契約社員時代の手取り給与分の確保することができました。

今までお世話になった上司、同僚に名刺を持って挨拶に行きました。

お礼と今後の仕事のご挨拶です

その結果、起業して2年後に前職の同僚、上司から、顧問先を紹介してもらえるようになりました。

56歳で退職し起業、順調に進み、いろんなセミナーにも参加し、最初の目的を忘れ

仕事に没頭していた時に・・・

最初の目的でもあった妹との時間、一緒に過ごす時間も取れず

妹は、49歳で亡くなりました。

途方に暮れ、仕事への意欲も薄れてきました。

もう一度、妹のため、家族のため、目標、夢を見つけようと、セミナーに参加、認定講座に参加し、

社労士事務所の看板を掲げたけど、何を目標にしたらいいのかわからず、夢も希望もわかず

ただ、呆然と毎日を過ごしていました。

いつもと同じように過ごしていました。

夫には持病があり、月に一度病院にかかっていました。

大腸がん検査で3年前から再検査になっていましたが、

痔だから大丈夫だと夫は思っていました。

一度検査した方がいいと医師に勧められ、

その結果、初期がんでしたが、手術することになりました。

手術日が決まってから、夫は暗く沈み、死を意識していました。

気力を失い、外出もしない。

手術日までに、仕事の日程調整などいろいろ始めていた時

暗い事件は続くもので、認知症で施設にいた母親が突如亡くなったのです。

母親の死後の届け出、手続きも全て離れて住む兄の代わりに私が行いました。

施設、市役所、金融機関などあちこち駆け回り、

悲しみより、日常の繁忙さが勝っていました。

やっと、母の手続きが終わったころ夫の手術です。

それから、長男を始め、家族に病気のことを話しました。

夫に誰にも話すなと止められていましたが、

家族だけには話すことにしました。

長男は父親のがんの話を聞いて「大丈夫なの?」の一言

娘たちも心配していましたが

本人は、「大丈夫、たいしたことない」と明るくふるまって、娘たちを安心させていました。

手術日、一人、病院で待っているときは、不安でした。

手術後の治療はどうなるのか?

癌と聞くと、放射線治療、薬の投与など長期治療を想像していました。

手術後、毎日行き、行かないと、メールがくる、

行くのが遅いと、持ってきてほしいものをリクエストしてきます。

無事、何事もなく退院

手術後も、治療もなし、経過観察のみになりました。

夫も一か月後に仕事復帰し、元気になり釣りにも行くようになりました。

安心した私は、これからどうしよう!

妹、母、夫といろいろな出来事が走馬灯のように私を襲ってきました。

社労士として、色々勉強して、会社の経営も学んでも自分のヴィジョンが見えてこないのです。

妹のように病気で働けない、しかし働きたいと思っている人たちを応援、

社会に貢献できるようなこと?をしようかと考えました。

それからは、認定講座やセミナー、高額起業塾、色々参加しても目的も見つからず、

色々検索する中トゥインクルスター養成講座説明会での

「内面ホリホリ、幸せのコップ、癒しのヒーリングコード」

目的が見つかるかもしれない、自分の背中を押してくれるかもしれない

そんな気持ちが沸き上がり、即受講しました。

自分と向き合うこと5か月、妹のことを思い出しては涙、夫や家族の関係を再確認

新しい自分というより、本来の自分の姿を取り戻したようでした。

若くないと何もできない、女性は美しくないと男性に好かれないなど

自分が考えてきた女性の理想像。

自分と向き合って、ありのままの自分が一番素敵だと思いました。

私のヴィジョン、ライフミッションは何か?安全・安心・ポジティブな場で皆と会話することで何か明るい光が見えてきたようです。

私と同じように行く先が見えなくなった人、資格を取得したが生かしきれない人、何度も資格取得をあきらめている人達を応援すること、

なぜ、あなたはその資格が必要なのか、その資格を取った後の夢は何かを一緒に探っていきたいと思います。

なぜなら、私は、資格を取るだけでゴールではないこと、そこからの人生がスタートであることを知りました。だから、安全・安心・ポジティブな場で自分のライフミッションを見つけることです。そして、みんなそれぞれ他人を気にせず笑顔で過ごすことを応援していくのが私自身のミッションです。

私をおすすめする3つの理由

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2022年10月04日
09:30〜13:30(4時間)
オンライン
コーチングを学ぶことができます。日程調整可能
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