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夢は叶わない・・・

 私の幼少期はとにかく「孤独」だったという印象が強く残っています。
両親は共働きで、家族経営の小さな飲食店を営んでいました。当時はとにかく仕事が忙しく、両親は早朝から夜中までずっと働き詰めな毎日を送っていました。

 そのせいもあってか、あまり両親とコミュニケーションを取る機会がありませんでした。
 三人妹弟の長女で、小学生の頃から、お店のお手伝いをしたり、お姉ちゃんだからと言われ、妹や弟の面倒を見たりと、自分がしっかりしなければと言う責任感がありました。

 しかしその一方では「自分は親に愛されていないんじゃないか?」と強く思うようになりました。
構って貰えない寂しさから、自分が居なくなったら、とか、自分が怪我でもすれば、どうやったらお母さんに構って貰えるだろうと考えている子供でした。 


  
そんな私でも小学生の頃から将来はアニメの声優になりたい!という夢がありました。
高校を卒業して、親に我儘を言って念願の声優の専門学校に通える事になりました。

しかし、先生の厳し過ぎる指導に次第に付いて行けなくなり、そして周りの才能のある子達にも嫉妬し、自分は才能がないんだと思い、徐々に夢も消えて行きました。
 そして母親からも歌や踊りの練習をしていると、大声で歌っているのは近所迷惑だ。そんな事をしているよりも地元の企業に就職しなさいと、私のやりたい事に対して、否定的な言葉を浴びせる事も多く、そこから更に自分を閉じ込め、自分を表現しない、夢は叶わないと思うようになりました。

 当時の私には、打たれても立ち上がるというような情熱はなく、ただ否定され、打ちのめされ、自分はダメな人間なんだと思うしかありませんでした。

 専門学校を卒業してからは、特にやりたい事もなく、地元の企業に臨時職員として働き始めました。

 そんなつまらない日々を過ごしていましたが、私が22歳の頃に実家が全焼するという事故が起こります。

父の言葉に救われた悲しい日・・・

 幸いにも人間は無事でしたが、私が飼っていたペットが犠牲になり、出掛けた時に持っていた物しか手元には残りませんでした。
 みんなが精神的に参っていた時でも、父の「家はまた建てればいい、今回はしょうがない事だ」と焼け跡を見つめながら、ポツリと呟いた父の後ろ姿が忘れられません。そしてこんな困難な状況なのに、父のポジティブな姿勢に自分は救われたなと思っています。

 この時に強く思ったのは「死んだら何も持って行けないんだ」というメッセージでした。
人は、いつ自分の命が尽きるのかは分かりません。朝、家を出たら、無事に帰って来るのは当たり前だと思っていたし、昨日まで過ごしていた家が一瞬にして無くなるなんて、思ってもみませんでした。今、手にしている物は当たり前じゃないと実感しました。

火事が起こってからの1年は無気力状態で、淡々と仕事をこなし、狭い借家で家族8人が揃って過ごしているストレスフルな日々でした。
 そんな時、高校の同級生から「息抜きに東京に遊びに来ない?」と誘ってくれたのがきっかけで、いつの間にか東京に住む事になりました。

 当時の私の荷物はダンボール1個、しかも中身はほぼ貰い物ばかりでした。
自分の物だと言える物は、新しく買った僅かな身の回りの品しかありませんでした。

 

新しい出会い

 そこからは友人にも恵まれ、一人暮らしで犬も飼い始めました。その犬友達からの紹介で、職場を紹介して貰い、気付けば約16年もお世話になる事になりました。
とても気さくな人達が多い職場で、仕事は経理事務でしたので簿記の資格を取る為に再度勉強し、上司にも認められるようになりました。
 未経験からスタートした仕事でしたが、とてもやりがいがありました。

  かたや恋愛の方はボロボロで、20代半ばに結婚の約束までした人もいましたが、結局上手く行きませんでした。
とにかく彼に嫌われたくない、相手に良く思われようと必死で、時にはデートの約束をしていたけど、相手の都合で6時間以上も外で待ちぼうけをした体験もあります。

 恋愛や結婚について、かなりネガティブになっていました。そんな時、自分のマイナスな思考を変えたくて、婚活塾に思い切って通う事にしました。カリキュラムを通して知った「自己肯定感」と言う言葉。
これを学んだ時に、自分の自己肯定感の低さに愕然としました。それと同時にずっと人には言えなかった、男性から受けた精神的・肉体的な恐怖体験を講師の方に打ち明ける事が出来、随分と心が救われました。今思えばその場所は「安心・安全・ポジティブな場所」だったからだなと思っています。
 自分の中に根深く残る、男性から危害を加えられた事があるからこそ、自分が女性である事が許せないと言う思い込み。今までの恋愛体験では、常に男性から危害を加えられるのではないか?いつか裏切られるのではないかと感じ、だからこそ先に自分で自分を犠牲にしていたんだなと理解し、相手から傷つけられない為に自分から恋愛を上手く行かないようにしていたんだなと氣付きました。


 それと同時に「自分は両親、特に父親から愛されていた」と言う事にセッションを通じて氣付く事が出来ました。大人になってから、母から当時の父の様子を聞き、どれだけ愛情表現が不器用な人だったんだと思いました。 

 そこからは自己肯定感を上げようと思い立ち、セミナーやスピリチュアルな分野にも手を出して行きましたが、恋愛に関しては逆に遠ざかって行きました。

しかしこのままではいけないと思い、婚活を再開。30代の後半に付き合っていた彼は、とても高収入ではあるけど、部屋の中はガンプラで溢れ返っている人でした。
押し入れもガンプラ、天井までうず高く積まれたプラスチック箪笥にもガンプラの部品が詰め込まれていました。しかも大事に締まっておくだけのコレクターでした。

その人の趣味をとやかく言う事はしないけれど、同棲の話が出た時に、私の住む場所がリビングの端っこを差して、ここにスペースがあるから、この辺かな?と言われた時に、自分の気持ちが一気に冷めたのを覚えています。
この人は、もし私が同じ事を言ったらどう思うんだろう?と純粋に思ってしまいました。
相手を思いやれないのであれば、2人で生活するのは無理だろうと思いました。

 

理想の夫婦像

 20代までは、自己犠牲と他人軸で生きていた私だったので、相手に依存し、自分の気持ちを相手に伝える事が出来ませんでした。
 しかし30代後半の恋愛は、自己肯定感が上がった事で、相手の条件ではなく、本当にその人と過ごして居心地が良いかどうかが大事だなと思えるようになりました。

 もう一つ、自分の中で理想の夫婦像があり、それは私の両親になります。
父は私が30歳になる頃に亡くなりました。
難病を発症し徐々に人間として当たり前の事が出来なくなって行く脳の病気でした。
そんな状態でしたが母は一人で店を切り盛りし、父の介護するという超多忙を極めた生活を送っていました。そんな父も最期は自宅で母が見守る中、亡くなりました。

母が火葬場で漏らした一言が今でも忘れられません。「また来世でも一緒になろうね」そう言って父を見送ったのでした。
病める時も健やかなる時もと結婚の時に誓い合いますが、本当にそれを体現した人でした。

一方、仕事はとても充実していて、東京の暮らしも楽しく、一人暮らしも満喫していました。そんな時に「自分は、このぬるま湯の中にずっといても、いいんだろうか?」と言う漠然とした不安。
 大きな不満もなく、安定した収入があり、友達もいるし、好きな旅行も行けて充実している反面、これでいいのか?と言う将来の不安がありました。

 そして、自分の中で本当にやりたいなと思っていたスピリチュアルな事を提供して行く人になるという小さな夢があったのを思い出しました。

 

自分の人生、自分で決める

そんな時、会社からコロナの影響で早期退職の募集が発表になりました。とても好条件で、しかも会社都合で辞められるなら、このタイミング

を逃したら後はないと思いました。
でもいざ手を上げるとなると、とても迷いました。そんな時、背中を押してくれたのは、16年一緒に暮らしてきた愛犬の死と副業の存在でした。タイミングとしては今がベストだ!と自分で決断し、早期退職に手を上げました。 
退職時には、みんなが私の退職を惜しんでくれて、自分のこれまでの成果が認められたんだなと感慨深かったのを覚えています。

 こうして独り立ちした訳ですが、初めから順風満帆だった訳ではありません。精神的な疲弊や物販を軌道に乗せるまで時間も掛かりました。本当にボロボロで月収3万からのスタートでした。

 そんな時、地元のビジネス交流会で、LMC協会の認定講師さんと出逢う機会がありました。カードコーチングの体験を通じて「これだ!」と自分の直感のアンテナが立ちました。

 

                    
 チャネリング講座で30人セッションの課題がありましたが、メンタリングカードとチャネリングを合わせたセッションの提供をし始めました。
受けて下さったからの反応がとてもよく、段々とセッションが楽しくなりました。そして今では100人セッションを目指せる様になりました。

 セッションを通じて、クライアント様の今後の人生をより、彩り豊かなものにしていける氣付きだったり、私と出逢えて良かったと言って貰える存在になりたいと強く思えるようになりました。

 幼少期は、自分が表に出てキラキラ輝く事に憧れを抱いていましたが、どんな場所でも自分がやりたい事をしていく事が、自分の舞台であり、そこで輝けばいいんだと思えるようになりました。
 沢山の体験セッションを通じて気付いたのは、私はあくまでも伴走者だという事です。

自分の未来は、自分で切り開いて行くしかないのですが、心に傷を負っていて前に進めなかったり、時には迷走したり、ドツボにハマってそこから抜け出せなくなったり、誰しも順風満帆に自分の生きたい人生を生きている訳ではないんだと、これまでの自身の体験を通じて気付く事が出来ました。

 でもそんな時、少し先の道を照らしてくれる。時には一緒に寄り添ってくれる人が居たら、どれだけ心強いだろうと思います。
 クライアント様の受け取り方で、私は色んな人に変化します。でもその方がその方らしく生きていける道に辿り着いた時、心から嬉しいと喜んでいる自分が居ると気付きました。
クライアント様の人生はその方が主役であり、私はその方の人生の一コマを彩る名脇役でありたいと思っています。

 私のライフミッションは、

心に深い傷を負っていても、色んな思いを抱えていても、

年齢や立場は関係なく、どんな境遇な人でも、

自分の中の「やりたい!」を見つけ、それを叶えて行ける人を増やして行く事

です。

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