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はじめまして♪

ライフミッションサポーター
ICC(インナーチャイルドケア)第1チャクラ認定講師

いしい まさこです。

 

「自分に自信がないなんて、当たり前」
「誰かに必要とされていないと、自分には価値が無い」
そう思って生きてきました。


これまで過ごしてきた人生の出来事を振り返ると、
“何人分の人生なの?”と言われたことも。

 

私なりにがむしゃらに必死で生きてきたつもり…

 

40代後半になり経験も重ねて、少しだけ成長した少し前の私は、
大好きな家族と友達と、美味しいお料理とワインがあれば幸せでした。

でも今は、
これまでの事を振り返ると大変なこともあったけれど、
やっぱり、自分だけじゃなくて

【もっと、皆が笑顔で幸せになる世の中を作りたい!】

誰でも明日を迎えられることは、
当たり前じゃないことだと、素晴らしいことだと、
お伝えしていきたいです。

 

自分が出せない

私は、両親と年の離れた姉がいる、4人家族でした。
家族の中ではとても愛情深く、大事にされ育ててもらいました。

物心ついた頃には、女の子らしいことが苦手で、大人しい男の子より活発な性格で近所では、リーダー的な存在でした。
でも、幼稚園に入り子供なりにも社会が広がって行くと、私より強いリーダーがいました。

自分の気持ちを出すときには、リーダーたちに何か「お菓子」をあげるなど、相手に何かを提供しなければ、仲間外れにされることもありました。
私は「お菓子」を渡すことで、子供たちの中で「存在」を保たれていたように記憶しています。自分の存在を、誰かに認めてもらうためには、ありのままの自分ではなく、何かを「差し出す」ことによって社会での存在が許される。

そんな意識が、植え付けられていたかもしれません。

納得できなくても、相手や周りが望む「何かを差し出すことにより」で、自分の存在を認めてもらおうとしていました。
「人から認められたい、大事に思われたい。」
でも、ありのままでいられない。と子供の頃から、小さくても積み重ねられ傷ついた心は、承認して欲しいという気持をどんどん強くしていったように思います。



仕事が上手くいかず、依存型の恋愛へ

学校を卒業後、ブライダルプロデュース会社へ就職。
就職先では、すぐに戦力として求められましたが、仕事が出来ない私の存在は「居場所が無い」と感じていました。

恋愛では彼が出来ると、常に必要と思われたい「認められたい」気持ちが大きく、「依存型」の恋愛に走りがちでした。
存在を「認めて欲しい」や「居場所が欲しい」が優先となるばかり、相手の都合に合わせて「流されて」「依存する」ありのままの自分ではなく都合の良い女として、20代前半を過ごしました。

 

 

やりがいのある仕事との出会いと結婚

そんな時、仕事でお世話になっているレストランの店長から「仕事が休みの日に、バイトに来てくれないか」と頼まれました。
その時、初めて飲食業に携わりました。

お料理をお持ちすると、お客様が「ありがとう」と言ってくださいます。
そこにライブ感や、その瞬間「存在」を認められたような気持になり、サービスをすることが、どんどん楽しくなってきました。
そこから、レストランへ転職しました。

飲食業は、毎日楽しい!同じ日が二度とない仕事にワクワクし、やりがいを感じていました。
そんな気持ちで仕事をしていると、私に会いに来てくれるお客様も増えてきました。
少しずつ、自分に自信を持てるようになりました。

そんな中でも、自立したキラキラした女性たちが来店され、ワインと食事を楽しむ姿にとても惹かれました。
その頃の私はまだ、「依存型」の恋愛をしていたので、
男性と対等に仕事の話をして、同じようにワインを飲む女性の姿は、正に「自立した女性」でした。

私も今の仕事を続けていくには、ワインソムリエの資格を勉強し、スキルアップが必要。
自立した女性になりたいと考えるようになりました。
そして、いつか女性がワインを気軽に楽しめる、自分のお店を持ちたいと夢を持てるようになりました。


その頃、私は自分の存在を必要としてくれる彼が出来ました。
同棲を始めましたが、相手がバツイチだったこともあり、親には反対されましたが、姉がとりなしてくれ結婚しました。

彼から必要とされることで、自分に価値があると思っていました。

結婚して暫くすると、夫は仕事が上手くいかず2年ほどで辞め、その後、就職したのですがハードな職場で「うつ病」になってしまいました。
「うつ病だから」と、私に生活費も家事も全てを依存される状態が続いていました。

5年も働けない状態が続き、夫の実家から助けてもらってはいましたが、
このままこの状況に「流されて」「精神的、経済的にも依存されて」いるままでは「自分の道は開けない」で我慢ばかりになってしまう。
先が見えず振り回されるのは嫌だ。このままでは、子供を産むことも出来ない。との想いを抱えていました。

そして、離婚。

その後は、一層ワインの仕事に力を入れて、働きながら専門分野を学びました。
ちゃんと自分の足で立って「自分の人生」を選択できる、自立した女性でありたいと、改めて思うようになりました。

 


夢を叶え、自立した女性に!

そして、独立。念願の「ワインバー」のオープン。
ワインソムリエの資格も取り、少しずつですがお客様も付いてきました。

私は、お店を持ったことにより、自分のステージを持て、人から認めてもらえる存在に成なれたのだと感じていました。
誰かの傘の下にいる、誰かの肩書ではなく、自分自身の作り出した肩書を持てたことをとても誇らしく思い、
お店に立てる喜び、やりがいを感じていました。

経営は大変でしたが、何とか10年続けることが出来ました。
その10年の間に、様々な悩みや、困りごとがありました。

オープン直後に、大阪で会社経営をしている、私と年も近い男性経営者と知り合いました。
若い頃から会社経営をしていると聞き、経営相談をするようになりました。

私にとっては、メンターのような存在。私はすっかり頼り切っていました。
その彼のお陰で、乗り越えたことも多くありました。



新たなステージに立った、その時

そんな矢先のことでした。
その頼り切っていたメンターと、ワインバー10年の節目にレストランを立ち上げて、法人化する話が持ち上がりました。
私はその方を、信用しきっていたので言われるがまま、法人の手続きに必要と言われるものに署名、捺印をしていきました。

そして、事件が起こりました。
そのメンターに、署名、捺印した書類を偽装されてしまいました。
借金だけ残され10年続けてきたお店は、権利などを知らない間に書き換えられ、乗っ取られてしまったのです。

自分の全てと言っても良いくらい、大切に育てていたお店でした。
分からないこと、苦手なことを人任せにして「依存」してしまいました。

お店の営業の事、お客様のことばかり考えて、その他のことは自分自身で、判断しない、考えない人間になってしまっていたことに気が付いたのです。
レストランをオープンさせるという、社会的な「承認」を得ることが優先になってしまいました。


今度は誰かに「依存」することによって流されてきていた。と気が付きました。
女性として「流されない」「依存しない」「自分で道を切り開く」この3つを、これまでの経験の中から、心に軸として持っていたつもりでした。

これまで作り上げてきた、お客様との信頼関係、そして大切にしてきた自分のお店での時間。
私という人間を「承認」してくれる、お店の看板。
全てを失くしてしまいました。



このモヤモヤの原因は?

そこから、私自身の問題が大きく感じられるようになりました。
長く接客業に携わり、その場のコミュニケーション能力は長けているかもしれない。

しかし、身近だと思っていた人間から、このような裏切りに合うということは、そもそものコミュニケーションで、信頼関係が構築されにくい未熟さがあると考えるようになり、そこからリーダーやコミュニケーションのことなどを学ぶようになりました。

ソムリエの現場を離れた私は、再婚した夫の会社の飲食事業部を手伝うことになりました。
お洒落なドリンクスタンドで、若い女性のスタッフが多く働いていました。
そんな彼女たちと一緒に働く中で見えてきたことがありました。

今、一緒にいる男性に必要とされることで、自分に価値があると感じる。
そして、精神的に依存している。
その男性の幸せのコップを満たすことを優先する為、自分の幸せのコップは後回しにしてしまう。

彼女たちは、かつての私と同じです。

学校以外でも、学ぶことや情報を得る方法を知る事が出来たら…
生まれた環境や、家族など関係なく、女性が自立して、自分で人生を選択して幸せになることが出来るのに。

誰かに依存しなくても、自分の幸せを大切にするだけで、相手のことも大切に出来て、自分の幸せを自分で作っていけるのに。
情報がないことで、多くの女性は、将来を見据えて生きて行けることを知らない。

自分と重ね、モヤモヤと考えるようになっていました。



LMCとの出会い

そして、2022年1月。大きな衝撃的な出来事がありました。
いつも家族の中でも一番頼りにしていた、愛する姉が命を自ら断ちました。

実はその2年前に、姉の愛娘が職場でのストレスから、命を絶ち。
2021年10月は姉の愛娘の三回忌でした。

姉は、娘が全てと言っても過言ではありませんでした。
愛娘は、『アスペルガー障害』を持っており、幼い頃から普通より手がかかっていました。
姉はいつも自分よりも娘のことを優先していました。
嫌なことがあっても苦労を母子で乗り越え、大学まで出て、就職し、立派に社会人として勤めていたのです。


姪は、まだ22歳と若く経験が無かったので、ライフミッションを見つけることが出来なかったと思います。
そして、姉にとっては「自分が亡くなった後でも、娘が幸せに生きて行けるように、出来るだけの準備とサポートをする」という生涯のライフミッションを持っていたと思います。

そんな時、私はYouTube講演家 鴨頭嘉人さんの「話し方の学校」で叶理恵さんにお会いし、LMC協会に出会いました。

「ライフミッションを探すお手伝いが出来る」

正に、私が若い女性に対して、自分と重ねてしまう事。
そして、ライフミッションを見つけることが出来なかった、姪。
姪が亡くなった後、新たなライフミッションを見つけようとしなかった姉。

LMC協会に出会ったのは偶然ではないと思いました。


 


LMCである理由

偶然ではないと思える出会いによって。
これまでの経験も、全てが必然にさえ思えてきました。

「そして女性の自立に貢献することも、両方が叶えられる」
そして何より「ライフミッション」があれば、人は命をミッションのために使う。

自ら命の期限を決めることは無いと思います。

最も身近な身内の死により、私が自分のライフミッションを持つ、きっかけが出来ました。
LMC協会は、その人の人生をその人によって、生きていく意味を見つけることが出来ることを知りました。



ミッションの気づき

私はかつて、誰かの幸せのコップを満たすことで、自分に価値を感じ、
さらに、承認欲求を満たしたい為に、流され、依存して大切なものを失くしました。

女性が誰かの幸せのコップを満たす為に生きていて、自分で自分の幸せのコップを満たすことが後回しになっている人を見ること。
自分と重ねてしまい。私が、人より異常にモヤモヤする理由。だと気が付きました。



私のビジョンとライフミッション

私のビジョンは、

女性が精神的、経済的に自立し、自分らしく幸せに生きていく事を自ら選択出来る社会

を目指すこと。

「自分の幸せのコップ」は、誰でもみんな持っていい。
それを優先順位に上げていい。
自分の力で幸せになる選択をしてもいい。
未来を自分で決めていい。
自分を大切にしてもいい。

ここだけには書ききれない、沢山の「いい。」に出会うことを
広く、広く知ってもらい
ミッションを持つことで、生きている意味が見いだせて


自ら命を絶つような選択を無くすこと。

その先の人生を夢や目標を持ち、自分らしく幸せに

笑顔で生きていきたい人の力になること。


言葉にすると、涙が溢れ出て
そして熱いものが、こみ上げてきます。

これが私のライフミッションです。




今後の私

私のライフミッションをいつも一番近くで応援をしてくれているのは
互いの幸せのコップを満たし合うことが出来る、再婚した夫です。

多くの出来事がありました。
その中の失敗と思う事から学び「失敗だった」で終わらせない。
どんな経験も、あなたにしかない価値や強みにして生きませんか?
辛い経験や傷ついた心も、一緒に癒し進みましょう。
沢山の方の未来に、人生に、喜びに、笑顔にできる講師を心がけています



あなたの人生が、ウキウキするパートナーとの未来。

あなたらしく、生きて行く未来。

「未来を創る価値がある自分」に出会うサポートをいたします。

私をおすすめする3つの理由

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