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私の人生は側から見ると、幸せな人生だったように見えるかもしれません。
なぜなら、努力して子どもの頃からの夢を叶え、家庭も築き、子どもにも恵まれた、という部分が表面的には見えるからです。

しかし私は、内面では、何十年も苦しんできました。それは、幼少期の体験により、自己肯定感がとても低い人間になり、自分を受け入れられず、攻め続けていたからです。だから私は、人間の人生を大きく左右するとも言える幼少期の環境、特に密接に関わる周りの大人の内面が、とても大切だと考えるようになりました。

 


さて、まずは、
私の人生に大きな影響を与えた、
幼少期のことについてお話しします。

私は田舎の兼業農家の長女として生まれました。祖父母の権力がとても強く、厳しい家で、母は嫁としてずっと苦労していました。母は、怒鳴られたり命令されたりし、常にビクビクし、祖父母の顔色を伺い、言いつけられた仕事をこなしていたそうです。

私はおとなしくじっとしている赤ちゃんだったそうで、母は、静かに寝ていてくれるならばと、農業や家事をこなす日々で、私はスキンシップがとても少ない状況で育ちました。母や父と、手を繋いだ、抱っこしてもらった、一緒に寝た、一緒に遊んだ・・・そういった記憶がありません。家庭は安心できる場所ではなく、不安で寂しく、辛い場所でした。


2歳下に妹が生まれました。
いつでも、「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい、妹の面倒を見るのもお手伝いも当たり前」と言われ、そのように育てられました。喜んで欲しくてお手伝いしても、褒めてくれたことはなく、ありがとうと言ってもらった記憶もありません。叱られるのも我慢するのもいつも私でした。

妹が生まれてすぐ、
私は祖父母と寝ることに祖父母が勝手に決めてしまったそうです。

祖父は夜、私に母の悪口や嘘を言い聞かせていました。この経験は、「妹は可愛いが私は嫌われているから両親と一緒に寝てもらえない」という解釈になり、悲しい記憶として私の中に残りました。

自分は嫌われている、という想いが決定的になったのは、9歳の時に三番目の妹が生まれた時でした。母に衝撃的なことを言われ、今まで散々辛い思いをしてきて、そこにとどめを刺されたような感覚でした。

私はとても傷つき、
心を閉ざしたことを覚えています。
その後二歳下の妹が不安定になり、不登校になりました。そこで両親は、二番目の妹にも、また丁寧に関わるようになりました。よって、私は長女として、さらにしっかりしなければなりませんでした。この環境で生きて行くためには、大人の期待に応える働きをしていなければならなかったのです。



このように、幼少期は私にはとても辛い時期でした。
自分という存在が好きではありませんでした。

本当は甘えたい、優しくして欲しい、ということは受け入れてもらえなかったので、それらを表現することもできなくなっていました。本当は好きだったはずの母も、嫌いになっていました。家族から嫌われていると思っていました。そして、妹たちは愛されていると感じていました。

私は一番先に生まれたことが嫌で、生まれてこなければよかったと思っていました。
その想いが重なるたびに、私は悲しみだけでなく、怒りを感じるようになっていきました。この間に私が身につけたことは、「精神的にも行動としても、しっかりし、周囲の大人の期待に応えるよう辛くても弱音を吐かずに頑張るしかない。」ということだったように思います。



小学4年生の頃から、
私は教師を目指すようになりました。
高校生の時に、校種は小学校と決めました。

自我がまだ確立しきらない、
早い段階で子ども達に関わりたいと思ったからです。

そして、「子どもが自分を好きになり、自分らしく自信をもって生きていけるようになる、そんなお手伝いがしたい。」と思いました。本来人間は、生まれた時は、自分のことが嫌いとか、自信がないなどどいう感覚はないはずで、愛や自信、好奇心などで溢れている存在だと思います。だから私はそれを食い止め、昔の自分のように、自分が好きになれず自信もなく、苦しいまま生きていく子どもをもう増やさないために、サポートがしたかったのです。

その後も教師を目指して努力する日々でしたが、教員採用試験は超氷河期。
三年連続不合格でした。私は自信も気力も失い、14年目指してきた教師を一旦諦めようとしました。

その時に、臨採の話がきたのです。
両親に説得され、私は臨時採用で小学校に勤めました。

そこで再び魂に火が灯り、働きながら本採用目指して努力が始まりました。
臨採1年目で今の夫に出逢い、結婚。そして夫に協力してもらいながら勉強し、次の年にやっと合格することができました。

この時の私はとても幸せでした。
やっと本採用の教師になることができ、夢が叶ったと思っていたからです。

仕事は大変でしたが、やりがいもあり、
退職まで教師を続けるのが私の人生だと思っていました。その後、不妊治療を乗り越え双子の娘にも恵まれました。もうこれで自分の人生は安泰だとも思っていました。しかし、その後、また試練がやってきたのです。

 


育児休業が終わりに近づいてきた頃から、
両家の実家で、病気や介護問題が生じました。
職場復帰には、実家の助けが必須という現実がありましたが、育児支援をあまり頼めない状況で現場復帰。睡眠時間を削って仕事・育児・家事をこなす毎日で、次第にオーバーワークになっていきました。

娘達は喘息で入院することもあり、看病や仕事で睡眠時間が激減し、私は次第に体を壊していきました。そして過労が度を超え、遂に鬱 になってしまったのです。鬱の引き金は過労でしたが、その時に私の中から吹き出してきたものは、幼少期の辛かった想いでした。初めは悲しみ、その次は激しい怒り・・・不眠や体の異常。自分をコントロールできなくなり、自然に死を望んでしまうほど辛く、人生のどん底でした。



約1年ほどかかって普通の生活ができるようになり、傷病休暇と休職で1年半過ごした後、職場復帰しました。しかし、その頃から、働き方、生き方について悩むようになっていました。なりたかった教師になったものの、自分が思い描いていた理想と現実の間にギャップがあったからです。大きな問題点は2つありました。

日本では、子育ての負担や責任が、
母親に多くかかっているのも現実で、母さんは一生懸命で、自分のことよりも我が子・家族のことと、とても頑張ってる方が多かったです。一人で抱え込み頑張りすぎて辛くなっていらっしゃる方も多かった!

お母さんに寄り添い、お話を聞き、
心が軽くなると、それが子どもにもよい影響を与えることが多くありました。
  

母親の内面が、育児に直結していて、良くも悪くも影響を与えていました。だから、子どもたけに働きかけても不十分で、母親のサポートがとても必要だということを現場で強く感じていたのです。これが一つめです。

 

二つ目は、働く環境です。
一公務員であり、組織の中で働くので、
国や県、管理職の方針等に自分を合わせていく必要がありました。

子ども達のためには本当はこうした方がよいのではないかと思っても、方針には従って働くのが公務員であったり、会議で提案しても何も変わらなかったり。政治、権力、地域性、環境や人間の変化等、一人ではどうすることもできない大きな壁がありました。常に人間関係に気を遣い、理想の教師であり続けることにエネルギーを注ぎ、負担が多すぎると感じることでも、やらなければならない状況に、ストレスを感じていました。また、核家族で子どもを育てながらこの仕事を続けていくことが、厳しくなっていました。



その後三女を出産、
その育児休業が終わりに近づいた頃から、
私は自分を変えたくて学び始めました。

そして、私の内面は次第に変わりました。
復帰する少し前から、義父の死、義母や祖母の介護、身内の入院が相次ぎ、生活が大きく変わりました。もう限界かもしれない、というところまでいきました。そして、夫と話し合い、7年ほど悩んできた、生き方、働き方について、新たに自分で仕事を立ち上げてやりたいことを実現すると決めました。夫も認めてくれました。そして働きながら学び続け、退職し、独立しました。これは私の人生にとって大きな転機となりました。

そして半年後。
自分なりに頑張って活動しているものの、
目に見える結果が出ず、不安や焦りが出てきていた頃、私はLMC協会に出会いました。





まず、「人生のやっとけば良かったなあ。をゼロにする協会」というところに惹かれました。
私も転機を経験し、やりたいことは全部やり、悔いのない人生を送りたいと思っていたものの、形になっていかずに悩んでいたからです。

そして、LMC協会のミッションであり、
代表の叶さんのミッションにとても共感
しました。教員時代から目指していたことと重なる部分が多くあったのです。

そしてLMCビジョンにもとても共感しました。私が作りたいと思っていた世の中も、まさにあの絵のような世界だったからです。
私たちは一人一人かけがえのない存在であり、誰にでもよさや可能性があります。

それは比べるものではなく、
競うものでもなく、一つの側面からだけで評価されるものでもない
と考えています。

各々が自分のよさを活かし、助け合って生きていく。誰かが一人勝ちする世の中でなく、足りないところはお互いに補い合って、皆が幸せに生きていく。そんな世界になってほしいとずっと思っていました。

そこには「障害」と言われてしまうような部分を持っている方も入っています。広くみれば、全ての人が「障害者」といえます。私もあなたもそうなのです。たまたま、現在の常識とされるものや、社会のシステムに対応できている人には、障害があると判断がされないだけ。たまたまそこに合わない、合わせられない特性が強い方が、線引きされているように感じています。その特性も含めて一人の人間であり、その人を集団に合うようにさせるのではなく、周りが、それぞれ自分の特性、よさなどを生かし、自然な状態で、仲良く関わっていける方法や手段を考え、よい環境を整えていける世の中にしていきたいと思っています。



この想いがLMCで実現できるのではないかと思いました。
一人では難しいことでも、ビジョンに共通性がある協会やその人達と一緒に活動していけば、実現できる。

組織の中から独立し、
一人で成し遂げていくことの難しさを感じ始めていた私には、LMC協会は新たな可能性でした。

そして、自分がやりたいことは見えていたつもりなのですが、時に不安や焦り、迷いなどが生じることがあったので、LMC協会で自分の内面をさらに掘り、自分がやりたいことは本当にこれでよいのか、そしてそれは自分のどこからきているのか、情熱の源泉を明らかにし、ブレずに進んでいきたい。そう思いました。

どんなことを言っても否定されることはなく、互いに認め合い、自立していて、自分の想いや夢、本音を語れるこの協会の環境は本当に素晴らしいと感じました。トゥインクルスター養成講座で自分と向き合い、自分の内面を掘っていくと、私が人生をかけて成し遂げたいことはブレていませんでした。

それは、「人が自分を大切にし、皆が笑顔で子育てできる社会を創り、幼少期から自己肯定感が高く、自分らしく幸せを感じて生きる人を増やすこと」です。

これは幼少期の経験が一番強く、
そしてその後の教員時代の経験、母としての経験、私の全ての人生経験から湧き上がってきているものだということがわかりました。やがては障害を持っているとされる方も、そうでない方も、何の区別もなく、心から仲間と思え、助け合っていける世の中にしたいです。



人として親としてこうあらねばと、
無意識に頑張りすぎて、辛くなっていませんか?

それはまさに過去の私でした。
しかし、自分の心の声を知り、自分を大切にできるようになると、私はありのままの自分でいられるようになり、何気ない日常の中でも幸せを感じられるようになりました。

幸せの第一歩は、
あなたが自分の心の声を知ること
なのです。

あなたが自分を大切にすること・自分らしく生きられることが、あなたの家族や友人、パートナー、やがては全ての人の幸せに繋がっていくからです。これまでの経験が糧となり、今がある私だからこそ、自分らしく生きたいあなたのお力になりたい。あなたが向かいたい幸せの方向「幸せのベクトル」を一緒に探していきましょう!全力でサポートさせていただきます。

 

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