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体験レポート

ほっと安心できる場所はありますか?

Category : リアル日記・1Day開講までの道のり, ヴィーナスまでの道のり  Date : 2019年08月14日

こんにちは(*^^*)

 

名古屋を中心に活動をしている

 

ライフミッションサポーターの「かわいのぞみ」です。

 

お盆ですね~。

 

かわいは、働き始めた時から10年以上シフト制、お盆、年末年始なし。

 

でずーっと仕事をしてきたので、お盆に帰省…ということは社会人になってから0.

 

幼少期に母の実家に帰る時も遠方だったので、

 

交通機関がすいている時に!ということでこの時期に帰省ということをしたことがなく、、、

 

お盆って??という不思議な感覚です。

 

そう、でもそんなお盆に(お盆は関係ないかもW)初めて実家に帰省し、

 

かわいは、なかなかなコントローラー母と対峙する機会がやってきました。

 

そう、かわいの人生の大きな決断問題があったので、

 

母とお話する。ということになりまして、帰省せざるを得ない事態になったのです。

 

母は、「何か大きな決断の時は決まって否定し、大きな声でののしる」

 

そう、そんなことが何度も何度もあったので、正直逃げ出したかった。

 

しかも、少し前まで

 

家=攻撃を受ける場所

  命の危険が脅かされるところ

  常にびくびくしなければならない場所

 

と、LMC協会とは真逆の環境にありましたので、

 

足も遠のき、母の感情が高ぶらない、情緒不安定さが増さない程度にしか帰省をしておりませんでした。

 

だからかな?一人暮らしをしても、

家のイメージが↑のようなので、

 

かわいは家にいることが大嫌い!!

 

職場にいたり、お休みの日も埋めるように

 

予定を詰めて外出していることが多くありました。

 

半年くらい前から、ようやく自宅も安心の場となり、

 

一人でゆっくりお昼寝~とか

 

撮り貯めたテレビドラマを見る♡

 

などをし、まったり~と安心して過ごすことが出来るようになりました。

 

そのかわい、母とのお話の為に、実家へ帰ることになったので、

 

重い重い足をゆっくりと一歩ずつ前に出して、

 

母のいる家に向かいます。

 

wifiがあるから思いっきり仕事ができるし、

 

よみたかった本もまだ家にあるから、、、、

 

勇気を出してインターホンを押します。

 

その後、母と話し合いの時間に…

 

ぬ?いつもと雰囲気が違う。

 

何を私が伝えても、私の決断はいつも否定されていたのですが、

 

今回は「もっと早くやってしまってはいけないの?」

 

「なんで、そんなに切り替えるのに時間がかかるの?」

 

(↑一見、否定されているような内容に見えますが、

かわいの背中を押している内容なのです。。)

 

なんじゃこりゃ~!!と

 

驚きが止まらないほど、こんなに気持ちよく背中を押されたことがないし、

 

自分の気持ちを受け入れてもらった経験が母とはなかったので、

 

かわいの驚きは止まりません。

 

いつも、母が苦しそうに見えて、帰省しても安心させようと嘘をついていい子を振る舞ったり

 

笑いをとるためにありもしないことを言ったり

 

ごーーーくごくたまに、どうしようもない時は母に本音を伝えましたが、

 

全て一刀両断されるので、話すのも嫌になり、自室にとじ込もることも増えました。

 

そう、「ダメ」「ダメ」「ダメ」しか言われた経験がなく

何をやっても認められず、共感もされない

 

実の母から「だたゆっくり話を聴いてもらい、うなづいてもらったり、諭すように話しかけられたい

 

そんな夢はかなわぬものと思ってました。

 

でも、それが、ついに、ついにーーーー!!

ようやく35年越しに叶いました。

 

 

それ迄にはここではお話できないような色んな工夫をしました。

世代間連鎖にも真っ向から取り組み、

母のようにならないようにと意識すればするほど似てしまって

自分に嫌気がさして、自分大嫌いに拍車がかかることもありました。

 

 

AAPの場を学び、梅ライスで母の愚痴ばかりの話を聴く、

 

辛い過去の話を聴く、

 

そんなことも繰り返し繰り返ししました。

 

それで、「そんなこと辞めて自分のことに集中したら?」

 

そういうことを言われることもあったけど、

 

やっぱり、彼女が生きている内にかわい自身の本音を腹を割って、ゆっくり話せたらな~

 

そう思って諦められない自分がいました。

 

そんなところに執着せずに、別に目を向ければ、

 

こんなに苦しい思いをしなくても済むこともあったかもしれません。

 

でも、私はやっぱりどこかで母のことが大好きだったから、

 

彼女の過去にも寄り添いながら、今の苦しみにも寄り添いながら、

 

お互いが穏やかに、戦闘モードに入らずに、話せるときが来ることを諦められませんでした。

 

私の我が強い、短所が出てしまったのかもしれません。

 

 

でも、ようやく30年越しに、本当の意味で

 

願いが叶い、

自分の背中を実の母から押してもらえたことは

 

かわいの心の長年のつかえも取れて、

 

実家がAAPの場所に変わった瞬間でした。

 

まだ、こうやって書いてても泣き虫かわいが出てきて涙がほろり☆

 

スピッ〇のようにきれいな「涙がキラリ☆」に変わるように、

 

ライフミッション以外にも、生きている内に諦められないこと!

 

への挑戦は続きます!!

 

それでは、また☆

 

 

 

WRITER
 先生